物語学の森 Blog版 2016年02月
物語学の森 Blog版
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
野火止・火(樋)の橋のこと
 3月中旬までバタバタすることが判明したので、4月の発表準備。二つ考えていますが、第一候補について、思いつくまま調べていたところで先行研究をリサーチ。発表時までの先行文献は網羅されていて、むしろ、こちらが独自に持つ文献が少なく、再説ばかりで新見解が乏しくなる可能性も出てきました。

西條静夫「武蔵国の業平伝説とその古跡(一)―志木市・新座市における」 「日本文学風土学会紀事」27号.2004年6月
西條静夫「武蔵国の業平伝説とその古跡(二)―主として春日部市・川越市(上)における」「日本文学風土学会紀事」29号.2006年.6月
西條静夫「武蔵国の業平伝説とその古跡(三)―川越市(下)・東久留米市における 」「日本文学風土学会紀事」30.31合併号.2007年6月
西條静夫「武蔵国の業平伝説とその古跡(四)―東京都(主として西東京市、墨田区における) 」「日本文学風土学会紀事」32号.2008年3月

 以前、『伊勢物語』12段の「火の橋」を話題にしました。「国の守」の家臣の追っ手が野火を点けたのが「火の橋」。この橋についても(一)の論文には鮮明な写真が載せられてあり、散歩ルートで下をくぐったこともあるところ。確かに黒目川一帯から野火止・平林寺あたりは広大な原野で、畑作には野焼きがいちばん合理的な整備法であったろうとは思われました。まだまだ知らないことばかり。

 むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆく程に、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかにおきて逃げにけり。道くる人、「この野は盗人あなり」とて火つけむとす。女わびて、 
 武蔵野は今日はな焼きそ若草の  つまもこもれりわれもこもれり
とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率てけり。

 黒目川探訪写真、61.62が「火(樋)の橋」。

2016-02-29 Mon 09:21
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古本屋さんと本屋さんの将来
 「日本の古本屋」で古典文庫の一冊を購入しようとしたところ、著名な古本屋さんではあるが、我が家から至近であることに気付き、送料と時間が節約になると思ってお電話を差し上げたところ、店舗はないことを告げられた上で、在庫を確認するから「電話番号といつ来るのか」を聞かれました。天気も良いので、GoogleMapで二つの小学校の間と場所を記憶に留めて自転車に乗ったところ、歯医者に向かうときに通り抜けるだけで、土地勘が怪しいことに気付く。微妙に寒風も吹いており、東京都とは言いながら畠もあって、砂埃にまみれて家を探す自分を想像して車に乗り換え、カーナビゲーションを頼りに南下すると数分で到着。普通の家の表札に「○●書房」とありました。すでに領収書も用意してくださり、互いに「またよろしくお願いします」と挨拶して、午後は、約200頁、本文だけの物語を系図を作りながら読みました。途中、科研費代表の先生のお若いときの論文がpdfになっており、詳細な系図があることが分かったので、答え合わせ。
 地代のかかる店舗はなくとも、目録とネット通販だけで古本屋さんは成り立つということでしょう。以前、新大系の欠本が地元の古本屋に出ており、送料と同じくらいの値段だったので、電話したところ、携帯に転送され、「そこは倉庫で常駐していないから直販は出来ない」と断られました。地番からして場所も特定されるほど近所で、畠の中にぽつんと倉庫があり、自身、よく通り過ぎていたところにありました。昨年もネットで見つけてお電話して取り置きしてもらった早稲田の古本屋さんも、大幅に店舗を縮小して営業していて吃驚しました。昔は探求本を早稲田、神田と歩いて探し、早稲田の方がやすいからと戻って購入、身体がくたくたになった記憶もありますが、今はほぼ一発であるなしが分かり、しかもオークションとなると、こちらは渇望の書でも、出品者にとっては在庫を減らしたい値段と言うこともしばしばあり、相対的に古書の値段は下がるいっぽう。有り難くもあり、寂しくもあり。新刊も数カ月経てば値崩れしてしまうので、「今すぐ必要」でなければ「待つ」ほうがお得、という時代となりました。

 先日お世話になった印刷屋さんも、取り次ぎ各社を通さなくても、個人で出品できるアマゾン等の席巻で、取り次ぎ各社と本屋さんの自主廃業が相次ぎ、産業構造の変化に苦慮しているという話をしたばかり。そこに、一昨日、学生時代お世話になった芳林堂倒産のニュース。確かにショックを受けましたが、大泉学園駅にジュンク堂も出来たし、超大型書店の展開によって、町の小さな本屋さんは鎧袖一触というところでしょう。かくいう自分自身、書店に出向いてみたのも、時間潰しの時だけ。
 我が町周辺には、高速道路の起点でもあり、都心に近くて地代の安いこともあってか、業界トップの取り次ぎ社や、著名書店の倉庫が並んでいます。過渡期の今、今後の帰趨を注視して行きたいと思っています。

2016-02-28 Sun 08:22
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上原作和・正道寺康子編著『日本琴學史』
日本琴學史

七絃琴の日本における受容を詳述したはじめての通史

中国の無形文化遺産・七絃琴(古琴)は、「君子左琴」「右書左琴」と称される君子の楽器である。琴は奈良時代に伝来し、『うつほ物語』や『源氏物語』などの古典文学でも主人公の携行する楽器として描かれている。また、「琴棋書画」として日中の文人に愛好されたことも広く知られているが、これまで体系的に享受史が解明されたことはなかった。
日本人は琴をどのように受容し、いかなる音楽文化を形成したのか。また、日本文学にいかなる影響を与えたのか。
「伯牙絶弦」「知音」の故事でも知られる琴および琴曲の実態、古典文学をはじめ中・近世の漢詩文や近代文学への影響、中国および日本の禅僧や文人ら、我が国の琴人の系譜と王朝物語の音楽伝承の生成過程を中心に、古楽譜や楽書などの文献史料や絵画資料も用いてその特質を明らかにする。


勉誠出版・日本琴學史
2016-02-27 Sat 07:19
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こちらも見本出来ました。
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 見本は金曜日に製本出来の予定でしたが、木曜日には落掌。本当にお世話になりました。

 ただし、助成金の書類提出がこれから。昨年夏、掲載許可を取った諸処の記憶がすでに曖昧で、通信記録を辿りつつ確認。海を隔てたお国には、申請書は日本語で、メールはそちらの国のことばで作文しました(汗)。
 第二外国語はそちらの国語だったのに、ほぼ素人同然の語学力となっています。母校のクラス編成もそちら語を第一外国語に選んだクラスがA、第二の僕等がB(このニクラスが一年次、萩谷先生の土佐日記)、以下、ドイツ語、フランス語と分けられていたと記憶します。先日も琴の稽古に伺ったところ、その昔お父さんに抱っこされながら、ギターを習っていた先生のお嬢さんが、小学校六年生になっており、「你好」と挨拶したところ、「こんにちは」と返されてあとが続かず…。もちろん、稽古中に漢詩をそらちの国のことばで歌うのも脂汗でした。
 
 昨年秋に伺った新潟の高校の進路指導部長の先生も、学籍番号(60番台-「ワ-渡辺」)で挨拶して下さったのでAクラスの人だと分かったけれども、ボクが「ウ」で(57J111)だったので、0…番台がA。1…番台がB、2…番台がCで、170.180は空番号だったことが分かります。ちなみに、後輩に当たる若い語学の先生に、「昔の学籍番号って元号だったらしいですよ」とニコニコしながら言われましたが、まさに昭和元号+日本文学の「J」、年の差を実感しました。さすがに博士課程は西暦番号(90JD002 )だったので同時期に在籍していたことも判明。さて博士課程は三人でボクが最年長。1番君はご指導の先生の葬儀にも連絡が取れず、行方不明の不幸者ながら、3番さんは母校で教授を務める某先生

 さて、7年戻ってAクラスには古筆研究で著名な書家の某先生(学部時代四年間特待生!)もおり、我等のBクラスにも著名で優秀な高校の先生方が幾人もおいでになります。何年か前、茨城訛の某君が電話をしてきて、聞けばご子息の進学先を考えていたようで、「今は代返なんて出来ないぞ。学生の出欠席も学生証に埋め込んだICでコンピューター管理しているところもあるから、学籍番号入れれば遅刻・欠席が多いとか一発でわかるんだ」と話すと、電話の向こうで沈黙していました。父は代返王の如く、やんちゃな学生でしたが、今はかなり偉くなっているらしく、きまりが悪そうだったので、その辺でやめておきました。ただし、こちらも偉そうなことはもちろん言えず。単位を全部取ってしまうと、4年生の授業料の均等割りで演習科目の単価が高くなると考え、教職科目の西洋教育史等を残していました。もちろんこの頃になると目標も定まり、真面目に出席して、ノートも比較的丁寧に取っていましたが、試験前にゼミの後輩に当たる3年生の女子に、「ノート貸してくれない」と声を掛けたところ、あっさり玉砕NG。追い出しコンパで理由を尋ねたところ、「先生になろうとしている人が、そんなことダメです」と叱られる。折口信夫の講義ノートですら、池田弥三郎、西村亨ノートは校合して完璧なものを志向しているのだから、互助か、独力かという考え方の違いだけれども、生真面目な人もいたもので、採用試験も一発合格、よい(ちと怖くて苦手)先生になっておいででしょう。

 時代は移り、今は全授業、テーマ毎にパワポを用意しているので、「ノートは買わなくてよいから、データファイルを各自で管理するように」と指示しています。しかも、1年生にはパワポのノート型印刷の方法まで指導。いっぽう、教員側は、レポート、教材データ、連絡事項の管理までパソコンで行い、締め切り過ぎた学生は赤表示で日時は分刻み、連絡事項の開封状況、教材データのダウンロード状況まで把握可能。完全管理の便利の世の中になったものです。先月の最終授業で「○●君は、レポート三回とも締め切り破ってんだねえ」と言いながら、管理画面をちらっと示すと、自身のみ際立つ真っ赤表示を目視してか、態度の大きかった○●君も、平身低頭で頭を何遍も下げながら帰ってゆきました。本日これにて。

2016-02-26 Fri 05:51
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ゼミジャーナル完成



 校了していたゼミジャーナルの製本が出来たというので、書類を揃え、「特別試験」の成績報告とともに事務室に届けて事務処理終了。来年度の教科書指定も済ませました。このジャーナル(副読本)は予算減額につき履修予定者分のみギリギリ刷りました。

 「特別試験」は、先月の雪の日の試験の欠席者等が対象(ただし、自己申告)。ところが、雪の日の受験者はひとりだったので、残りの二人のことを尋ねてみると、該当学生は申請そのものがなかったとのこと。出席簿を確認すると平常点も優良組だったし、制度の説明は事前にしてあったので、まったく不可解というか、もったいない気がするけれども、新しい先生と6時限目の夜に学ぶのもまたよし、と思い直 しておきます。

 その昔、この手の作成はゼミに担当者をおいて原稿を集め、学内の印刷室で手作りしていました。そこで思い出したのは、万葉某ゼミの「峠」。大学を移ってからは控えておられたようで、先日、「酒席を共にしたことがない」と副学長先生が仰っておられたので吃驚しましたが、若いときはグループで二回発表を終える毎に有志で打ち上げ、という楽しいゼミで、ボクも何度か飛び入り参加しました。ところが、同級生で東MAXのお父さん似の某君が、ゼミ内でなぜか怪物に成長、同級生と恋に落ちたのでさらに混乱に拍車がかかりました。結局、女性のほうは修士課程修了直前、大学教授の息子に乗り換えたので、東MAX.君は未練たらたら、その想いをジャーナル誌に「いとしのミヤ(ミヤは愛称)…」とかなんとか掲載し、先生を「研究誌なんですがね…」と愚痴らせたと聞きました。結局、卒業式の日、先生の音頭で、それぞれの旅立ちを祝って拍手で送られたというエピソードは、故郷で教員になるために帰郷するという挨拶に来た彼女から直接聞きました。東MAX.Jrは大阪よりさらに西国のご出身ですが、なぜか北海道で教員になった由。当時激戦だった院試は数次のチャレンジも叶わなかったけれども、10年ほど前 、教員の再教育制度を利用して、某大学院で学んでいたことを指導教員の先生から知らされ、これまた吃驚したことでした。すでに役職者として活躍しているかも知れず、どこでどうしているのやら(教員だから、調べればある程度消息は分かりますが…教え子さんのブログに登場。やはり濃い先生らしい)。

 1982年の入学当時は臨時定員増(臨定)の時代、定員250で臨定ナシと聞いていましたが、文部省の監督管理も緩かったのか、実際には1クラス60人、7クラスありました。これだけいれば多士済々、いろいろな人生があります。

 ゼミ誌と言えば、河内山清彦先生(1941-1980)もご指導に熱心で、ゼミ誌は他大学にも寄贈していたので、院生時代目を通した記憶があります。38歳、教授在任のまま早世されたとのことですが、時折、短大生のレポートの参考文献『源氏物語の理想的女性 -紫上をめぐって』でお名前を見かけます。池田亀鑑の33回忌法要(1988年12月)でも松尾聡先生がこの先生の早世を惜しんでいたと言う話を、萩谷先生からお聞きしました。遺著となった『紫式部集・紫式部日記の研究』 (桜楓社、1980年)も、時折参照することがあります。

2016-02-25 Thu 06:57
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「相夫恋」と『徒然草』覚書

 想夫恋といふ楽は、女、男を恋ふる故の名にはあらず、本は相府蓮、文字の通へるなり。晋の王倹、大臣として、家に蓮を植ゑて愛せし時の楽なり。これより、大臣を蓮府といふ。
 廻忽も廻鶻なり。廻鶻国とて、夷のこはき国あり。その夷、漢に伏して後に、来りて、己れが国の楽を奏せしなり。『徒然草』214段


 謡曲「小督」でもよく知られる話柄ですが、藤原仲国が高倉天皇の命令で嵯峨野に隠れた小督を探しているところに、 微かに琴の音が聞こえてくる。これが「想夫恋」。兼好は『 平家物語』の中でもとりわけ著名な場面を意識して異説を唱えたとされていて、兼好の学殖が遺憾なく発揮されたくだりではあります。ただし、楽曲の享受史としては記憶に留めたいところながら、物語史的には、恋愛の曲として我が国では受容されていたものとすべきでしょう。
 いっぽう、『枕草子』注釈書では、『徒然草』から「相府蓮」とする新潮古典集成があるので注意を要します。

 峯の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か、覚束なくは思へども、駒を早めて行く程に、片折戸したる内に、 琴をぞ弾きすまされたる。控えてこれを聞きければ、少しも紛うべうもなく、小督殿の爪音なり。楽は何ぞと聞きければ、夫を想うて恋ふと読む、<想夫恋>という楽なりけり。 『平家物語』巻六

 くわえて、「相夫恋」は『源氏物語』にも四箇所登場しており、やはり「夫を恋い慕う」ことがモチーフ。とりわけ、「横笛」巻は、この曲が重要な意味を持ち、小督説話の通低音になっていると言えるでしょう。

大島本『常夏』
① 「いで、弾きたまへ。才は人になむ恥ぢぬ。「想夫恋」ばかりこそ、心のうちに思ひて、紛らはす人もありけめ、おもなくて、かれこれに合はせつるなむよき」

大島本『横笛』
② 月さし出でて曇りなき空に、羽うち交はす雁がねも、列を離れぬ、うらやましく聞きたまふらむかし。風肌寒く、ものあはれなるに誘はれて、箏の琴をいとほのかに掻き鳴らしたまへるも、奥深き声なるに、いとど心とまり果てて、なかなかに思ほゆれば、琵琶を取り寄せて、いとなつかしき音に、「想夫恋」を弾きたまふ。
 
③ 対へ渡りたまひぬれば、のどやかに御物語など聞こえておはするほどに、日暮れかかりぬ。昨夜、かの一条の宮に参うでたりしに、おはせしありさまなど聞こえ出でたまへるを、ほほ笑みて聞きおはす。あはれなる昔のこと、かかりたる節々は、あへしらひなどしたまふに、
 「かの想夫恋の心ばへは、げに、いにしへの例にも引き出でつべかりけるをりながら、女は、なほ、人の心移るばかりのゆゑよしをも、おぼろけにては漏らすまじうこそありけれと、思ひ知らるることどもこそ多かれ。

④ 「何の乱れかはべらむ。なほ、常ならぬ世のあはれをかけそめはべりにしあたりに、心短くはべらむこそ、なかなか世の常の嫌疑あり顔にはべらめとてこそ。
 想夫恋は、心とさし過ぎてこと出でたまはむや、憎きことにはべらまし、もののついでにほのかなりしは、をりからのよしづきて、をかしうなむはべりし。

三巻本『枕草子』206段(角川文庫)

弾くものは琵琶。調べは風香調。黄鐘調。蘇合の急。鶯の囀りといふ調べ。
筝の琴、いとめでたし。調べは想夫恋。 -集成203段「相府蓮」


 源氏物語音楽用語事典
 池田芙蓉の初期短編「嵯峨の月」も小督説話を小説化したもの


                
2016-02-24 Wed 08:22
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海舟日記


 
 江戸東京博物館の「歴史をつなぐ天璋院の用箪笥」展の最終日につき、熟覧。篤姫は、敷島(和歌)の道に通じ、巧みな字を書く、最上流の嗜みを備えた女性であることを、目の当たりにしました。
 常設展の内容もリニューアルしていました。写真は、日本橋界隈と江戸城天守閣。




 拙著でたびだび取り上げた、勝海舟の日記の現物を始めて見ることが出来ました。慶應四年(1968)三月、西郷さんと江戸城無血開城の会談をしたくだりが、繊細な筆で綴られていました。下記の書幅一帖は、新著でも影印を載せました。勝海舟も琴韻を愛した文人のひとりです。

『海舟日記』より
勝海舟書幅一帖 明治十四年(1881)仲秋
勝海舟「偶感」

2016-02-22 Mon 08:05
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『戦国遺文』と『軽井澤宿本陣佐藤家文書』



 自身のリテラシーではまったく太刀打ちできないので、専門家に文献をお示しいただくことにしました。『軽井澤宿本陣佐藤家文書』史料番号85番は、明治42年に当家で新写したものですが、これらの釈文が『戦国遺文』「武田氏編 」「後北条氏編」各巻(東京堂出版)に収められています。これらを上下で対照させつつ解読。主家発令文書は、尽く「飴と鞭」が前提。血判で忠誠を誓わせ、言うこと聞かなければ弾圧、報復、手柄を揚げれば恩賞。昭和の時代の大学の研究室の如し(!? )。ちなみにわたくし、いちおう平成の大学院生です。
2016-02-21 Sun 07:58
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朝日新聞1面サンヤツ広告



 ありがとうございました。初校の校閲で真っ赤になったので二本書き直し、念校以後も編集部あげての総チェック。プロ集団とは、まさにこの方達をいうのだと思います。

2016-02-20 Sat 07:00
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秋風詞を学ぶ


 シンプルなコードの展開ですが、なかなか難しい。この上、李白の詩に歌唱も伴うのが本来のかたち。なんとかレパートリーに加えたいと思います。



 李祥霆 『秋風詞』
 詩性と心性
2016-02-19 Fri 08:07
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