物語学の森 Blog版

このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。

二宮金次郎像と鷺林城


  頂いた「80年の歩み」に写真を撮り忘れた二宮金次郎像があったので紹介します。昔はどこの学校にもありましたが、歩行中のながら勉強は危ないと言うこともあって、お見かけしませんが、母校にはありました。
 もうひとつは、中佐都駅の西北にある鷺林城。戦国時代、武田信玄が拠点としていたと同書「中佐都の歴史ー常田」にありました。先に紹介した、軽井沢宿本陣佐藤家文書の慶長19年(1614)3月「豊臣秀頼討伐につき佐久郡郷士督促状」を見ると、長土呂の郷士の筆頭に「曽根曽太郎正盛」と当時の当主名が記されてありました。この城跡は畑になっており、小学生の時、自転車でひとり土器を探しに行ったことを思い出しました。畑のおじさんに「こんなところで何している?」みたいなことを言われたので「お城の土器を探しに来ました」と申し上げたところ、帰りがけに、「ほれ!」と土器の破片を下さいました。すっかり忘れていた歴史少年時代の記憶が甦りました。母に聞くと、常田の山崎さんと仰る非常に几帳面な方ですでに亡くなったとのこと。その節はお世話になりました、と心の中で御礼を申し上げる。小海線中佐都駅と三岡駅の間にあります。
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中佐都郷土館



 午後から安曇野の高校で仕事があったので、家を早朝に立ち、母校の小学校を表敬訪問。校長先生が対応して下さいました。お願いしていた「80周年記念誌中佐都小学校の歩み」1970年を頂きました。地元の歴史、寺子屋の歴史が詳しく書かれています。さらに地域にも開放していると言う中佐都郷土館を案内していただく。昭和30年代から収集された、塚原古墳群の土器類、灯台、農機具、御輿、地元の年中行事・十日夜の藁鉄砲、国定教科書に漢文素読のための漢藉・礼記、等々。「歩み」には昭和19年卒業の父(最後列中央)、「中佐都小学校百年誌」2000年にはボク(中列左)、母も在職中に亡くなった校長先生の追悼文を寄せていました。写真を撮り忘れた二宮金次郎像も懐かしい記憶でした。校長先生、ありがとうございました。
 
 
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『徒然草』のから学問の源泉を学ぶ


「呼子鳥は春のものなり」とばかり言ひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。或真言書の中に、呼子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。『万葉集』の長歌に、「霞立つ、長き春日の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通いて聞ゆ。 『徒然草』210段

 呼子鳥は『古今伝授』のいわゆる「三木三鳥」のひとつに数えられ、兼好の時代、不明とされていたもの。これに「三草」を加えて以下の通り。
 三木
御賀玉木(をがたまのき)、河菜草(かはなくさ)、蓍に削り花(めどにけづりばな)
 三鳥
百千鳥(ももちどり)、稲負鳥(いなおほせどり)、呼子鳥(よぶこどり)
 三草
川菜草(かはなぐさ)、呉の母(くれのおも)、蓍に削り花(めどにけづりばな)

 蓍に削り花(めどにけづりばな)がかぶり都合八つとなります。「呼子鳥」に関しては二条為世の秘伝が執筆の遠因であろうことが角川文庫新版「補注」に記されてあります。為世と言えば、230段には実際に登場。歌道の師匠のエピソードが書き込まれています。

五条内裏には、妖物ありけり。藤大納言殿(為世)語られ侍りしは、殿上人ども、黒戸にて碁を打ちけるに、御簾を掲げて見るものあり。「誰そ」と見向きたれば、狐、人のやうについゐて、さし覗きたるを、「あれ狐よ」とどよまれて、惑ひ逃げにけり。未練の狐、化け損じけるにこそ。

 秘伝と言えば、「揚名の介」のことも書き込まれていました。
 揚名介に限らず、揚名目といふものあり。『政事要略』にあり。198段

 新版の「補注」は極めて明解に「秘伝」の解釈史を説明してあって有り難いのだけれども一箇所『源氏物語』の所在巻を「空蝉」巻とあるのは「夕顔」巻の誤り。池田亀鑑に拠れば、兼好は当時の青表紙本を見ている由。いずれにせよ、秘伝に通じていた兼好の学問の全体像を把握する必要があることは痛感しています。
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国語施策の結節点・明治33年(1900)

 昨年暮れの科研報告会で、我が国の国語施策の結節点は、明治33年、国定教科書編纂の指針として発令された法令(明治33年8月 文部省令第14号 小学校令施行規則中教授用新定字音仮名遣いに関する規定)だと窺い、ずっと気になっていたので少し調べ始めました。 以後、旧来の、いわゆる「旧仮名遣い」と句読点を含む国語表記の基盤が定められ、これは今日まで使われることになります。

 その昔、樋口一葉(1872-1896)架蔵の小型版本『源氏物語』(山梨県立文学館蔵)を見たことがあります。父・則義が中島歌子の「萩の舎」入門(1886年)のご褒美に購入したとのことでしたが、本文に墨で文節毎に読点が付されており、まさしく精読したことが分かる文献でした。版本の『源氏物語』はもうひとつ与謝野晶子(1878-1942)架蔵本(鞍馬寺蔵-(『絵入源氏物語』寛文頃1670無刊記・小本))も見たことがあります。それぞれ見た時期が異なり、確定できませんが、同じ揃いの小型版本では、と思ったことでした。与謝野晶子のものは縦長の箱入りでした。
 
 この施策が発令される前の、女性の教養(版本・変体仮名文化)はさらに調べてみたいと思います。なお、昭和13年(1938)頃、橋本進吉(1882-1945)の国語学演習で『古今集』を読んでいたという萩谷先生に、「教科書はどの本をお使いですか」とお尋ねしたところ、「神田で売っていた版本を学生それぞれが用意していた」と言う趣旨のお話を窺ったことがあります。戦前は、まだ学生の身近に版本のあった時代と言うことになるようです。

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六条院復原立体イメージ



  有り難い労作。ご覧 になる方は画像をクリックしてください。
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物語研究会@立正大学

 大雪が予想されましたが、ふだんと変わらない参加者がありました。五反田駅、大崎広小路駅と懐かしい経路だなあと思って調べてみたら、この会場での前回例会は2005年7月、11年ぶり、都合四回目と言うことが判明。来年度以降もメンバーが在籍するのでお世話になることになるでしょう。草創期メンバーが次々に定年を向かえつつある今、会場のシフトも大切。山手線から遠くなればなるほど会員の足が遠くなる。これは致し方ないことですが、若い人中心に運営を頑張っているので、ここはと言うときに必要あらば使ってくださいの精神、だと思っていたら、発表者がいないと言うことで、あっという間にご指名に預かりました。こういうこともあります。
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武蔵・河越館


  

 『伊勢物語』『とはずがたり』に見える「みよし野」小探訪を敢行。「川越市大字吉田」を目指してゆくと、東洋大学霞ヶ関キャンパスが最も大きな建物と言うことになるようです。海運の要・入間川に沿って「河越館」(現地名・川越市上戸(うわと))、東山道武蔵路の入間駅跡(八幡前・若宮遺跡から「駅長」土器出土)、霞ヶ関古墳などの遺跡が点在します。
 写真の河越館は、河越氏の菩提を弔う常楽寺をはさんで、広大な公園となっています。この寺には、京姫・重頼・義経供養塔もある由。『とはずがたり』によると「この川の向へをば、昔は三芳野の里と申しけるが、賤が刈り乾す稲と申すものに、実の入らぬところにて侍りけるを、時の国司、里の名を尋ねききて、「ことわりなりけり」とて、吉田の里と名を改められて後、稲うるはしく実も入り侍る」とあります。「向へ」の位置関係が難しい。語義的には、「向い」だから、入間川南岸方面の水田地帯を言うように思われますが、現在の吉田地名も、遺構もすべて入間川北岸で「並び」。船着き場は南岸ですから、ここが起点か。なお、『とはずがたり』に見えるもうひとつの「入間川」の「向へ」の「岩淵(東京都北区岩淵)」も南岸方面でした。なお調べてみます。

むかえ[むかへ] 【向・対】
【一】〔名〕(「むかい(向)」の変化した語か)「むかい(向)」に同じ。
*うたたね〔1240頃〕「むかへの山を見れば、雲のいくへともなく折り重なりて」
*平家物語〔13C前〕九・宇治川先陣「水の底をくぐって、むかへの岸へぞつきにける」
*とはずがたり〔14C前〕四「前には、いるま川とかや流れたる、むかへには、いはふちのしゅくといひて、遊女どものすみかあり」
*浪花聞書〔1819頃〕「むかへ、江戸でいふむかふ也」  『日本国語大辞典第二版』

『とはずがたり』の「みよし野」
上戸新町の歴史
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『三河後風土記』二冊

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 大学で歴史物語を教えていただいた先生が御架蔵だったものと同じ書名の『三河後風土記』の巻1.2を廉価で入手。読みやすい手跡が気に入りました。
 残念ながら、先生は5年ほど前、交通事故の後遺症で亡くなられました。後で「閲覧希望などあるやも知れぬ」と思ってご遺族に伺ったところ、養子となっていた息子さん(理科の先生)が家財整理の際、故人のゆかりの品と伝わっていなかったとのことで、他の古雑誌と一緒に業者によって灰燼に帰したとのこと…。学界にとって、まこと痛恨事ではありました。

 この本は、伝来、素性はまったく不明ながら、先生の「形見の品(の生まれ変わり)」と思って大切にしたいと思います。
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枕草子の日とかまくら




 『枕草子』『源氏物語』講座の日。お向かいのお嬢さんが休講になった時間を利用して作っていたかまくらがまだかたちを留めていました。『枕草子』の「雪山」の段は昨年読み終わったところなので、おさらいを兼ねて振り返りをしました。『源氏物語』は、明石入道入山のくだり。

 講座の後は、野田から松戸に移動。所要時間1時間。図書館にお邪魔して三校約600頁を総チェック。いよいよ正念場となりました。
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最終演習は大雪のため休講

 月曜日は年内最終、一回のみでしたが、結果的に3時限目まで休講の決定、試験を予定していた先生方が事務室と試験日程の調整に困っておいででした。全国ニュースになるほど休講決定が遅くなり、1時限目は開始10分前の8時50分の決定アナウンスとのことで、5時30分に家を出たと言う中国語の先生が、朝から待っていました、と笑っておいででした。4時限目の試験は予定通り実施。ただし、数名、架線トラブル等で交通機関が動かないと言う理由の欠席がありました。
 先ほど、3時限目の演習履修者には以下のメッセージを配信しました。
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昨日は最終授業日でしたが、結果、休講となりました。雪の中、登校にご苦労されたと思います。私は、10時30分、□学部事務室でも職員がひとりしか出勤していないという状況でしたので、見切り発車、同僚は武蔵境駅が長蛇の列で入れず、なんどかチャレンジ中との報告でしたから、なんと車で通勤しました。環八、井の頭通りと快調で、むしろ自宅の路地が怖かった程度で、最短時間で到着、そこで三時限休講を知りました。また帰りは晴れていましたから、帰宅は楽で、しかも最短時間でした。
レポートは順調に届いていますから、成績はこれで付けることと致します。欠席で数本小論文が足りない人もいますが、この方は■曜日に課題を指示しますから、9時~14時30分までに■□■□をお尋ね下さい。

小論文冊子が完成しましたら、また連絡いたします。こちらは、□学部□■□事務室での受け取りとなる見込みです。
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