物語学の森 Blog版 2015年08月
稽古三昧
2015-08-31 Mon 16:10

 懸案の原稿はまとまりました。琴の稽古に専念します。「秋風詞」が似つかわしい季節。季節の変わり目、風邪に気をつけましょう。
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やまへい・蕎麦尽くし
2015-08-29 Sat 13:31

 小諸やまへいの蕎麦尽くし。蕎麦粉餅はきな粉で。庭の水車も冷夏の信州に似つかわしい風情。夕方には松明が迎えてくれます。なお、軽井沢アウトレットにも支店があるので、お立ち寄りの際はどうぞ。
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2015-08-28 Fri 08:23

  仕事を終えて実家に立ち寄る。ご近所から頂いた巨大な桃で満腹となりました。
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平安時代の琴の演奏四形態。
2015-08-26 Wed 11:10
 『琴学史』いよいよ佳境。

 平安時代の琴の演奏形態は、「「一子相伝」の琴學―血脈相承から宗匠制伝授へ」で詳述することとするが、『源氏物語』においても①光源氏の「須磨」巻での独奏、②「明石」巻での光源氏の琴、明石の君の箏の合奏、③「若菜」下巻の琴(女三宮)、箏(明石の女御)、和琴(紫の上)、琵琶(明石御方)の弦楽四重奏、あるいは『源氏物語』本文には七絃琴に琴歌を伴うものはないが、和琴で催馬楽を唱う場面が「竹河」巻に見られることから、④琴歌の四形態の存在が認められる。これらは、明代の琴の独奏を志向する虞山派、琴歌を伴う江派の双方の演奏形態に先行する文献的価値を持つものと言えよう。したがって、琴・箏・琵琶が和歌や催馬楽の伴奏となる和様化は、空想上の創作だとは一概には言えないようである。今日でも催馬楽は和琴で伴奏されるのは、その残滓であろう。『源氏物語』「竹河」巻、梅の花盛りに、薫が催馬楽「梅枝」を歌いながら玉鬘邸を訪問する場面である。

 <薫>. 「寝殿の西面に、琵琶、箏の琴の声するに、心を惑はして立てるなめり。苦しげや。人の許さぬこと思ひはじめむは、罪深かるべきわざかな」と思ふ。琴の声もやみぬれば、
<薫>「いざ、しるべしたまへ。まろは、いとたどたどし」
 とて、ひき連れて、西の渡殿の前なる紅梅の木のもとに、「梅が枝」をうそぶきて立ち寄るけはひの、花よりもしるく、さとうち匂へれば、妻戸おし開けて、人びと、東琴をいとよく掻き合はせたり。女の琴にて、
呂の歌は、かうしも合はせぬを、<いたし>と思ひて、今一返り、をり返し歌ふを、琵琶も二なく今めかし。

薫の「梅枝」朗詠に合わせて、左大臣系の楽統を継承する玉鬘は和琴を「いとよく掻き合はせ」る。「呂」は雅楽六調子の一つ「双調」に相当し、低音で合わせにくいところ、和琴で巧みに合わせたことに、薫は感心したと言うのである(現行の催馬楽「梅枝」は「呂」の曲)。これに、今一度の朗詠には家の女房のひとりが琵琶を巧みに合わせたとある。本文には描かれないが、箏もまた、これに和したと考えたいところである。

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日本の琴の相承の型。
2015-08-25 Tue 07:42
 我が国の唐琴が法隆寺や東大寺正倉院に伝来したことは、天皇ゆかりの南都の寺院であるうえに、『令』巻三「僧尼令」にも、弾琴が僧侶にも公認されていたことから、これが必然的な経緯にあったことが知られます。

 十 凡そ僧尼、音楽を作し、及び博戯せらば、百日苦役。碁琴は制する限りに在ず。

 平安時代は、後宮文化に取れ入れられたために重明親王、斎宮女御徽子女王のように、父子間で継承され、かつ女性の弾琴が物語のみならず確認されます。女性と言えば『枕草子』にも

 村上の御時に、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一條の左大臣殿の御女におはしけると、誰かは知り奉らざらむ。まだ姫君と聞こえける時、父大臣の教へ聞こえ給ひけることは、
 『一つには、御手を習ひ給へ。次には、琴の御琴を、人よりことに弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌二十巻を皆うかべさせ給ふを、御学問にはせさせ給へ。』
 
とあるとおり、后がねの姫君の必須の教養となっています。

 ところが、五山の時代のなると、禅僧はそもそも家族、係累との関係がないので、「相承」そのものが存在しない。文人としての教養となっていることが分かります。さらに、江戸時代に入ると中国からの亡命僧・東皐心越以降は、人見竹洞、杉浦琴川、小田川東川と一番弟子に継承されていたところ、東川の時代に宗匠化し、東川四天王がそれぞれ門人を抱えて隆盛、「相伝の論理」が瓦解したと言う時代的変遷を辿ります(以下、未定稿)。


心越琴派相承主要人物略系図

石川丈山―沢田宗堅
 朱舜水┘            
東皐心越―人見竹洞

―杉浦琴川―小野田東川― 多紀藍渓―浦上玉堂―田中大秀
          ├ 幸田子泉―佐久間象山
          │    └ 梁川星厳・紅蘭 
          ├ 設楽純如―田上菊舎尼
          └ 杉浦梅岳―鳥海幸堂―妻鹿友樵
 (東川門下四天王)
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石川丈山と霊元天皇の琴師
2015-08-24 Mon 07:27
 日本琴学中興の祖は東皐心越(とうこう しんえつ)(1639-1696)とされていますが、石川丈山(1583 - 1672)も晩年過ごした詩仙堂(1641年~)に宋琴・陳眉公琴を遺しています。労作・岸辺成雄『江戸時代の琴士物語』(有隣堂・2000年)には、賞玩物として所有したとする説と、門下には弾琴をものした人見竹洞(1638-1696)らのあることから、同世代の朱舜水(1600-1682)から学んだとする仮説を示しながら、接触の記録はないことから、丈山の「琴師がわからない」としています(116頁)。

 また、霊元天皇(1654-1732)が、享保14年(1729)二月三日、詩仙堂に行幸して陳眉公琴をご覧になり、翌々16年の七月から九月まで宮中に借り出して、四本の絃を張り直して自ら弾奏、古錦の琴袋を下賜して返納したとある事実。なお、霊元天皇の琴師はやはり「不明」とのこと(同書199頁)。

 東皐心越の琴が、徳川昭武・勝海舟を介して皇室に献上されたことは以前書きました(宮内庁三の丸尚蔵館現蔵)。
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絶海中津と一休宗純の琴詩覚書
2015-08-23 Sun 08:13
期友人不至 友人と期して至らず 絶海中津(1336-1405) 『蕉堅稿』所収。

許我一来尋 我に一たびの来尋を許し
懐君数夜吟 君を懐かしみ数夜吟ず
紛粉雲南跡 紛粉たり雲南の跡
汎汎去留心 汎汎たり去留の心
山暮秋声早 山暮れて秋声早し
楼虚水気深 楼は虚しく水気深し
知音今寂寞 知音は今寂寞たり
壁上挂弧琴 壁上 古琴は挂くるのみ 

禅僧として明に渡り、琴書画も学んで帰国したわけですから、実際に七絃琴の音色を聞いていた可能性高し。

尺八 一休宗純(1394-1481) 『狂雲集』所収

一枝尺八恨難任 一枝の尺八 恨み任へ難し
吹入胡笳塞上吟 胡笳吹き入りて塞上に吟ず
十字街頭誰氏曲 十字の街頭誰が氏の曲ぞ
少林門下絶知音 少林門下 知音絶へたり

 「胡笳塞上吟」を尺八に置き換えています。「胡笳」は葦笛のこと。平安時代は古琴の曲として伝わっていました(『うつほ物語』)。尺八に託して、心を許せる禅僧の居ないことを嘆いています。

和靖梅下居 五首の選一 『続狂雲集』所収

愛鶴横琴無客来 鶴を愛し琴を横たふ 客来る無し
前村風露湿青苔 前村の風露 青苔を湿す
宋朝厚禄総閑事 宋朝の厚禄総て閑事
換得孤山千樹梅 孤山千樹の梅と換得たり

 和靖は北宋の詩人・林和靖(967-1028)。妻帯せず、梅と梅と鶴を愛して隠棲。絶海中津の詩想に通う古琴のある閑居の景。
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高田祥平著『東皐心越―徳川光圀が帰依した憂国の渡来僧 』
2015-08-22 Sat 09:09
  高田祥平著『東皐心越―徳川光圀が帰依した憂国の渡来僧 』精読中。

 平安時代中期より記録の見えない「琴-きん」の、我が国中興の祖が心越。「越の心」を持った文人僧の生涯を学び、概説の一章に加えます。徳川光圀と水戸学も重要。くわえて、五山の禅僧との連続性は山岸徳平以来、指摘されているところ。膨大な五山の漢詩も著名なものはひととおり目を通しました。
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徳富蘇峰記念館再訪。
2015-08-20 Thu 06:58



 二宮町の徳富蘇峰記念館を再訪しました。写真撮影も許可していただけました。一枚目。新島襄が同志社を退学する際に贈った書。

 大人とならんと欲せば/自大人と思ふ勿れ

二枚目、明治43年11年、杉孫七郎。興津の井上侯爵邸での園遊会にて作った戯画。

 御殿場滞在中にて/おふじ山/白粉つけて/かおなおして園遊会の/客を迎へり/井上侯同年の/古鐘 

三枚目。蘇峰が評伝『吉田松陰』の題字を依頼した勝海舟の書簡。「陰」の字に「くさかんむり」が附いていますが、刊行時の書影では消されていました。新島襄の墓標も、八重に依頼されて書いていますが、横一本足りないおかしな字。このあたり、ますます勝海舟の人柄に興味を持ってしまいました。
 眼福の時間、またまたお世話になりました。

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軽井沢から湯河原へ
2015-08-19 Wed 07:20

 雨の旧軽井沢銀座。10年ほど前、小右記註釈の合宿で立ち寄ったとき、リーダーは、あまりの賑わいに「オレは二度とこんなところには来ない」とひとりで怒っていました。その秋、阿佐ヶ谷の行きつけの店に行ったところ、軽井沢出店中ときてまた怒り爆発なんてこともありました。ただし、青学の帰り道、表参道から、わざわざ竹下通りを抜けて話の小ネタにしたこともありました。いずれも懐かしい記憶です。  
  週明けから、湯河原で物語研究会大会。濃密な議論が続きます。
 お昼はお寿司。すこぶる美味でありました。
 露天風呂に通じる廊下は文人趣味のデコレーション。琴学史の原稿を抱えて来たので、海辺の温泉街で新たなインスパイアがありました。 
 桃に琴 弾くは心越 禅師かな               漱石
 
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