物語学の森 Blog版

このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。

上野誠著『遣唐使 阿倍仲麻呂の夢』

遣唐使 阿倍仲麻呂の夢 (角川選書 530)遣唐使 阿倍仲麻呂の夢 (角川選書 530)
(2013/09/21)
上野 誠

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 上野先生から拝受。いつもいつもありがとうございます。

 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」

 阿倍仲麻呂、そして井真成。少ない文献資料から遣唐使の群像を描いていらっしゃいます。
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会津藩「什 (じゅう)の掟」

 三月、会津日新館に赴きました。一行に少年がいたので、藩校教授に音読させられたのが、会津藩「什 (じゅう)の掟」。

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

 最後の「一」はさすがに註記付き。また「半沢直樹」ではありませんが、組織を守るため、と言うより、組織に生き残るため、三つ目、四つ目の教えを違える年長者を相手に対応に苦慮することはあるのではないでしょうか。どうも、冒頭の「一」がその根拠なのでしょうが、現代社会において「勝ち組」となるためには、このバランスを合理的客観的に保持することが組織の維持管理の要になるだろうと思われます。


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勝海舟の六然訓




先月、京都の新島襄旧邸に立ち寄ったとき、勝海舟揮毫の「六然訓(りくぜんくん)」が掲げられていました(レプリカ)。勝自ら「六然居士」「六然の男」と称して好んで書いていたようです。『海舟日記』にも新島襄は津田仙を通じて親しく交わったことが記されてあります。もちろん、同志社にも基金を寄せているし、何より、新島襄の急死に際して、香典は二回も包み、墓石の揮毫をした際にも見舞金を妻八重に贈っていることが『海舟日記』に見えています。

 自処超然(じちょちょうぜん) 自身のことは超然としてこだわりを持たぬこと。

 処人藹然(しょにんあいぜん) 他者に対しては霧のように温かく柔らかく包みこむこと。

 無事澄然(ぶしちょうぜん)  事がなければ澄んだ思いでいること。

 有事斬然(ゆうじざんぜん)  事があるときは毅然と対処すること。

 得意澹然(とくいたんぜん)  得意なときは淡然としていること。

 失意泰然(しついたいぜん)  失意のときこそ泰然自若としていること。

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紀貫之のこと

 大塚ひかりさんのブログにはいつもはっとさせられる発見が詰まっています。

 今回の話題は紀貫之と『土左日記』。思えば高校の『古典講読』の教科書の底本が『土佐日記全註釈』。角川書店の教科書だから底本もそうなったのだろうけれど、大学一年生の「古典講読」から『土佐日記』、そして文献学の特殊抗議の対象ももちろんこの作品でした。

 こうなれば、いつかは『土佐日記』で一冊書きたいと思っています。
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三橋正・ルチアドルチェ編『「神仏習合」再考』

「神仏習合」再考「神仏習合」再考
(2013/09/16)
ルチア ドルチェ、 他

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 三橋先生から拝受。再考の前に事始め編から始めなくてはならない不勉強の分野。この秋、じっくり拝読します。
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2012年国語世論調査

 2012年国語世論調査。「役不足」「潮時」「怒り心頭に発する」「噴飯もの」。語源を知っていれば間違えませんが、慣用化されて意味がずれてくると、今度はこちらが定着するという好例ばかり。折も折、ボクも某所で「噴飯もの」と切り捨てた見解が提出されたのですが、怒っているというより呆れながらの発言でした。ただし、「噴飯もの-呆れた話」は入試問題には出せません。
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夏を惜しむ


 我が家の鈴虫です。音声もありますが、アップロード不能、残念。
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金の流れ/方法の限界

 若干咳が出るのでジムはお休み。夜はご多分に漏れず、半沢直樹。結末は原作通りのようだけれど、気になったのは、半沢が、大和田常務の個人資産、個人口座を洗い直して「転貸資金」を証明する場面。ボクもささやかながら不動産を所有しているので、バンカーさんから裏話を聞かされたことがあります。

 バブル期に延べ20億円の融資を受けていたご近所大泉学園の事業者に関してすら、信用を重んじてずさんな調査で済ませていたため、結局、自己破産。その事業主が自宅を抵当に入れていたことから、それだけが不良債権の補填として回収できた。しかし、その価格も、実際には億に届かなかったにもかかわらず、帳簿上は億単位の数字でまとめたため、実際の赤字19億円よりも、損失額はもっと大きかったという話。「そのお宅のお子さんは自己破産しているのに普通に私立に通っていたんですよ」と言うおまけ話まで。その銀行はもちろん破綻しました。

 「~の流れ」は我々も「文学史」「引用・典拠」、そして「傳來史」として学問的に通ずるところがあります。ただし、バンカーの「金の流れ」の悉皆・徹底調査と違って、絶対的な時間とエビデンスの散佚から、雲をつかむところがあるというのが、古典の研究方法の限界なのだと言うこと。こんなことを考えていました。

 早朝の秋山先生の「こころの時間」でのお話のひとつひとつ。ただ「感銘」のひとことです。

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助川幸逸郎著『謎の村上春樹 読まなくても気になる国民的作家のつくられ方』

謎の村上春樹  読まなくても気になる国民的作家のつくられ方謎の村上春樹 読まなくても気になる国民的作家のつくられ方
(2013/09/27)
助川幸逸郎

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 相模女子大学での物語研究会例会から帰宅すると、助川さんから新著が届いていました。ありがとうございます。連休に拝読します。

 文学賞受賞のあかつきには、ぜひ丁シャツで列席願いたい。
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竹取の翁はピック病か。

 先月だったか、国立大学の女性准教授が無銭飲食で逮捕されると言う事件が起きました。すっかり忘れていましたが、ピック病との関連が指摘されているようです。人格の急変や罪悪感や羞恥心をともなう行動を躊躇なくとったりすることが特徴とのこと。

 以前、「絶望の言説ー『竹取翁物語』の物語る世界と物語世界」を「解釈と鑑賞」に書かせて頂きました。三月で成長したかぐや姫に結婚を促す翁が、自身の年齢を「歳七十に余りぬ」と告げておきながら、おのおの三年の時間を与えられ、かぐや姫を養育したのち五つの求婚譚を経て「廿余年」を数えた後ですら、その年齢はむしろ遡って「五十歳前後」と記されており、「狡猾な翁像」が指摘されているからです。

以下、この物語の時間記述の本文を新井本で抄出しましょう。

・「翁、うれしくものたまふ物かな。翁、年七十にあまりぬ、けふあすともしらず。」〈求婚〉

・「翁、ことし五十ばかりなりけれども、物おもふには、かた時になむ、おひになりにける」と見ゆ。

〈八月十五夜〉

・おきなこたへて申《す》、「かぐや姫をやしなひたてまつること、廿余年になりぬ。かた時とのたまふに、あやしく成《り》侍ぬ。又こと所に、かぐや姫と申《す》人ぞ、おはす覧」といふ。〈八月十五夜〉

 「年七十」は当時30歳前後の翁がこのように誇張をして言ったものか、柳田国男の言う「物語の自由領域」として解釈すべき箇所なのか議論のあるところです。性的にもはなはだしく奔放な発言の目立つ翁、ひょっとすると、前頭葉と側頭葉の萎縮する「ピック病」だったのかもしれません。

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明日の「こころの時代~宗教・人生」、これは必見です。
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