物語学の森 Blog版 2011年08月
物語学の森 Blog版
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
高木文『泰山荘之記』昭和11(1936)年
 欧州留学後、史跡保存運動の指導者でもあった紀州家当主の徳川頼倫は、東京神田五軒町 (現在の千代田区外神田)の松浦武四郎旧邸を訪れた際、全国の友人、知人から寄進された神社仏閣や歴史的建造物の古材を使って造られた「泰山荘の一畳敷」(明治19(1886)年建造))に目を留め、これを保存するため、飯倉の南葵文庫裏庭に移築しました。昭和天皇との婚礼を控えた東伏見良子女王を迎えて落成記念式典が挙行されています。関東大震災前、渋谷代々幡町代々木字上原 (現在の渋谷区上原)へ移転していた紀州徳川邸内に再び移築されました。

 1925年  (大正14年)、頼倫の死後、彼の設計に沿って「高風居」と名づけられた六畳の茶室が造られ、一畳敷はそれに取り付けられました。

 1934年 (昭和9年)日産財閥の重役職にあった山田敬亮が三鷹の野川沿いの高台を購入。富士山を臨むこの絶景の地に、東京裏千家の師匠、亀山草月の監督のもと、5年をかけて、数々の歴史的建造物を集めた「泰山荘」と呼ばれる別荘を移築し、これを記念して昭和11(1936)年、高木文の『泰山荘之記』和装本が造られたわけです。

 1940(昭和15)年、中島飛行機会社社長中島知久平に売却。
 1950(昭和25)年、国際基督教大学の所有となり、現在に至ります(現在、補修工事中)。



2011-08-28 Sun 08:28
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高木文 随筆 二『繪島の生涯』(聚芳閣、1925年)

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 高木文の第二随筆集は、江戸大奥最大のスキャンダル「繪島・生島事件」(1714)を考証したもの。これは、繪島(1681-1741)が紀伊中納言綱教の簾中鶴姫に奉仕していた「於美與」であったことが、執筆の機縁となっているようです。繪島は簾中逝去後、桜田御殿の甲州家宣の愛妾おきよの方に仕えて、家宣が綱吉の後継として江戸城移御に伴い、お供を成して大奥に入っています。この事件は、幼少の将軍を擁して権勢を振るっていた月光院や側用人間部詮房らに対する反感から生じたといわれますが、大奥の風紀が乱れていたこともまた確かなことであったようです。大奥・月光院の嘆願で死罪を免れた繪島が流された高遠には、昨年も出向いて、繪島屋敷も見学していましたが、ここは実質座敷牢で、見張りがいて外出などままならぬように解説されてありました。ところが、この書では内藤家の家来某から『朱子類語』を差し入れられ、遠照寺にも出掛け、日耀聖人の法話を聞き、聖人と囲碁の対手もし、繪島の間があったとする地元の伝説を記しています。
 ちなみに、繪島の出生地は謎で、一説には吉原の遊女であったとされるものの、年寄となって四百石を賜っています。高木文は、今でも交通不便なこの地に大正時代には足を運び、墓の写真まで載せていますから、かなりの入れ込みよう。ここから繪島研究が始発したと言っても良いでしょう。写真下は奥付と「予の見たる重なる所載見聞書目」すなわち、参考文献4頁。OPACのない当時としては望み得る最大の文献を網羅したと言えます。何より「国史大事典」の記述は本書に基づくもので、その正鵠な調査がなされていることが驚きです。
 内藤藩の江戸屋敷は今の新宿御苑に当たり、「桜」の繋がりもあって、旧高遠町(伊那市高遠)は新宿区と姉妹都市の関係にあります。

 繪島略年譜
 天和元年  1歳 生                            将軍・綱吉
 元禄十六年 23歳 紀州鶴姫に仕ふ
 宝永元年  24歳 4月鶴姫卒 甲州家宣の愛妾おきよに仕ふ
          12月愛妾に追従して本丸に入る
 同 二年  25歳 御使番となる
 同 六年  29歳 年寄となり、四百石を賜る                 将軍・家宣
          愛妾山里御殿にて鍋松を生む
 正徳二年  32歳 大年寄に進む
                                      将軍・家継
          10月21日愛妾落飾して月光院と称し吹上御殿(山里)に移る。
 同 三年  33歳 4月25日 山村座芝居見物
          11月中村勘三郎座芝居見物
 同 四年  34歳 正月12日増上寺に御代参帰途山村座芝居見物
          2月詮議
          3月罪ありて内藤駿河守へ引き渡さる 26日江戸発足
          4月1日 信州高遠着   
 同 七年  42歳 5月 追放の者不残御赦免                将軍・吉宗
 寛保元年  61歳 2月病む
          4月10日卒
          同25日江戸より検使来る、此日蓮華寺に葬る。 

 江戸出立の際に詠んだとされる表紙の和歌「浮世にはまた帰らめや/武蔵野の/月の光りの/かけも/はつかし」は、東洋大学蔵の阿仏尼本『源氏物語』の「上掛け」の筆蹟に通い、やはり高木文が下賜されたときに、その来歴を記したもののようです。

2011-08-27 Sat 10:31
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クールダウンの日々。



 八ヶ岳、信州を二度回り、京都と来て家で過ごすのは久しぶり。何をするにもスローペースで、一日一善ではありませんが、一日一行、一日一通話調査という感じ。先日、大学図書館に出掛けたので各種『人名辞典』で高木文について調べたけれども、ついぞ見つからず。十年ほど前に復刊した『明治全小説戯曲大観』の版元さんに著作権継承者を尋ねてみましたが、分からないとのこと。ここまで調べて分からないのだから、仕方ないのかも知れません。
 
 写真は、先日、三谷家にあった「会報」創刊号を頂戴したもの。40年と言えば、人生の半分。次の40年後も現役かどうかは神のみぞ知る。とは言ってもそれには節制しないと。と言うわけで、ともあれジムで汗を流しました。


2011-08-25 Thu 07:20
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鈴木健一・鈴木宏子氏編『和歌史を学ぶ人のために』
和歌史を学ぶ人のために和歌史を学ぶ人のために
(2011/08/11)
不明

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 鈴木両先生から頂戴しました。大いに勉強させて頂きます。ありがとうございました。
2011-08-23 Tue 08:04
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雨の祇園町、そして宇治。



 みなが「合宿」と称する物語研究会大会のため京都へ。のべ七本の報告を聞き、夜は飲み明かす、とは言いながら、早寝早起きの生活習慣のボクはまた初日の部屋の飲みはリタイア。二日目はなんとか頑張りましたが、上から数えて何番目という年齢構成になってしまっているため、部屋に戻るのはかなり早い人であったらしい。若い人が多いのは組織が元気な証拠、厳しい時代ですが、生き残れるかも知れないと言う期待を抱きました。

 解散して雨の祇園町に出向く。バスの逆ルートに乗ってしまい、バス観光とは言いながら、雨で外がよく見えず、頭の中の地名を実地で廻って土地勘を養なった気分としました。先斗町の川床には雨で出られませんでしたが、ガラス越しに鴨川と橋を行く人々を眺める事が出来ました。
 二日目は宇治。平等院の雲中供養菩薩の楽人をつぶさに勉強しました。写真は宇治上神社の世界遺産登録を勉強しているところ。


 
2011-08-22 Mon 06:59
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信州、野田、八ヶ岳、そして…。
 ようやく完全な夏休みとなり、関東圏をあちこち移動しています。昨日は実家から、野田の古典講座、引き返して八ヶ岳山荘、また実家に戻って大渋滞の中、自宅に戻りました。

 原稿はひとまず擱筆して、校閲してもらっています。少しばかり加筆したいことが出て来ましたが、これは明日からまた遠征ですから、自宅で落ち着けてからと言うことになります。ではでは。

2011-08-18 Thu 06:52
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高野晴代著『源氏物語の和歌』
源氏物語の和歌 (コレクション日本歌人選)源氏物語の和歌 (コレクション日本歌人選)
(2011/08/05)
高野 晴代

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 この春の学会でお世話になった高野先生から拝領。『源氏物語』の和歌のエッセンスが満載されています。ありがとうございました。

2011-08-12 Fri 07:14
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『解釈と鑑賞』休刊。
 帰宅すると、至文堂/ぎょうせい から封書が届いていました。「今年は原稿依頼の当たり年だな」と思って封を開けると、「休刊」のお知らせと12月号執筆予定者に対する原稿キャンセルの文章が入っていました。9月締め切りだからとあれこれ予定を算段していたところだったのですが、義理堅く稿料の一部を頂戴できるとのこと。まだ書店に並んでいる8月号を書いたばかりだったので、しばらく軽い放心状態。書面にあるとおり、ネット情報が迅速かつ情報過多のところがあり、この書籍を地方の一般書店で探すのは一苦労、購買層の激減は明らかでした。これで「国文学」系月刊誌はなくなります。

 確かに、研究者として将来が確約できない現在では、一部の大学院を除いてほとんどの国文学/日本文学系の専攻は閑古鳥が鳴いている状態と来て、休刊は致し方ないところかも知れません。ここ数年、昭和40年代に博士課程が創設された大学院の、平安朝文学専攻の院生を数えてみたら、数えた大学の数より少なかったことが分かり、愕然としたことを覚えています。
 しかも、30代で大学の教壇に立つ将来有望と覚しき研究者さんたちから「こういうのって買うもんなんですか」とか「国語と国文学って本屋さんで売っているんですか」と言われることもしばし(心当たりのひと……ちゃんと読んでくれていますか-!)。

 秋山先生の「象徴的貧困」の箴言ではありませんが、「精神の貧困」こそ、国文学の現在を裏書しているような気がします。先日頂いた秋山先生の御本にはともに「書評」が重要な位置を占めており、「解釈と鑑賞」誌上に掲載された文章も収められていました。まずは、「読むこと」、これを再確認する夏にしたいと思います。

 
2011-08-10 Wed 06:35
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めぐりあひてみしや…大島雅太郎翁。
 三井と歩んだ70年 (朝日文庫)

 上記の本を始め、分厚い三井関係の社史を含めてそのほとんどを漁りましたが、ついに見つからなかった、大島雅太郎翁の肖像写真。考えあぐねて三井文庫に問い合わせてみたところ、二日の時を置いて、「関連企業の監査役として写真がありましたよ」とご教示賜ることが出来ました。さっそく早稲田の図書館で入手。著作権、肖像権もクリアできる1940年刊行、非売品の書籍『芝浦製作所六十五年史』でした。どちらかと言えば、三井は慶應系の財閥で大島翁も慶應義塾の人。蔵書も寄贈されています。
 写真の所在頁は明治37年(1904)東京芝浦製作所の役員会発足時のもので、
  取締役会長 三井守之助
  専務取締役 太田黒重五郎
    取締役 團 琢磨
    同   飯田義一
    監査役 朝吹英二
    同   大島雅太郎

 このうち、太田黒重五郎が三井物産から経営改善を託されて入っていた、いわば東芝生え抜きの人。嫌がおうでもこの夏の話題の中心、東京電力、九州電力の創設者の一人でもありました。東京外国語学校(現東京外国語大学)で二葉亭四迷の親友であり、『浮雲』(1887~1889)は太田黒がモデルとのこと。荻窪にある太田黒公園は音楽家の長男・元雄氏の旧邸だそうです。また、朝吹英二は、今をときめく芥川賞作家さんの曾祖父。三井合名理事長・益田孝、團琢磨の逸話もありますが、またいずれ。

2011-08-09 Tue 07:14
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秋山虔著『源氏物語の論』『平安文学の論』。
源氏物語の論: AKIYAMA KEN Selection源氏物語の論: AKIYAMA KEN Selection
(2011/08/22)
秋山 虔

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平安文学の論: AKIYAMA KEN Selection平安文学の論: AKIYAMA KEN Selection
(2011/08/22)
秋山 虔

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秋山先生より拝領。ありがとうございました。
2011-08-07 Sun 07:20
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