物語学の森 Blog版 2011年01月
勝海舟に学ぶべし。
2011-01-31 Mon 09:48
 鈴木重嶺探索の続き。『勝海舟日記』にヒントがあることをご教示頂きました。『氷川清話』は読みましたが、さらにこれも課題となりました。重嶺の「翠園文庫」も閲覧に行かなければならないようです。図書館にお願いして申請しないといけません。春休みはあれこれ日程調整して臨みます。
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校正、採点。
2011-01-30 Sun 09:57
 校務はひと段落。採点と校正二つ。この時期の校正二つはきついところもありますが、なんとか終える。ただし、校正を終えたら必ずもとのデータを訂正しておかないと、本をまとめるときに二度手間。しっかり手を入れておきましょう。この春、時間があれば、目次も考えて見たいところ。あれこれ考えている時間、これが研究を生業としている者にとって、悦に入れる時間と言えるでしょう。
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謎を抱えた一日。
2011-01-27 Thu 09:39
鈴木重嶺(1814~1898)探索の続き。

 鈴木は明治31年(1898)11月26日、85歳の生涯を閉じている。その『葬儀記録』が残っており、毛利元徳・近衛忠熈・正親町実徳・久我建通・蜂須賀茂韶・前田利嗣・勝安房等々、錚々たる人々をはじめ、萩野由之・黒川真頼・井上頼圀・中島歌子・佐佐木信綱等々、全国の歌人など1068名の氏名が記載されていると言う。

 ところが、このうち、最後の長州14代藩主・毛利元徳は、ある記録によると、明治29年(1896)に物故し、国葬が営まれていたのでした。……謎なのです。
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加藤瑞軒、鈴木重嶺、そして佐佐木信綱。
2011-01-25 Tue 15:26
 兼任先の試験終了。あとは採点だけとなりました。少し時間が出来て、心おきなく勉強できます。

 そこで、佐渡の幕末・明治期の歌壇を調査。佐渡の歌びとの筆頭はなんと言っても、鈴木重嶺。こちらは深沢秋男先生にほとんど悉皆調査とも言えるご研究があります。しかもネットに公開していることもありがたい。また、ブログでは関係資料の画像もふんだんに見られます。鈴木重嶺の短歌結社「詞林」は佐佐木信綱の「心の花」に合併されたとのことで、この繋がりがボクにとっては重要なのです。
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戸籍を読む。
2011-01-21 Fri 10:16
 来年度のための会議の傍ら、提供された「戸籍」を詳細に解読。系譜を再建しています。これに参考文献として『金井を創った百人』、「佐渡人物誌」「佐渡叢書」『佐渡叢書』、『佐渡人名辞典 全』を随時参照しながら。系譜を再建していると、一族の中でも忘れられ、一世代飛んでしまっている人若干。こういう人を掘り起こし、あらたな光を当てることに学問の意味があるように思います。
 
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棟を並べ甍をあらそへる-学年末の光景。
2011-01-18 Tue 07:24



 杉並から眺めた東京スカイツリー。左には新宿新都心が聳えるその後方で確実に背丈を伸ばして、この日、世界No2となったそうです。眼下には、十年以上に渡ってボクの研究活動を支えてくれた旧図書館。ほぼ跡形もなく解体が終わっていました。ここの図書館にしかない本もたくさんあります。この後、どんな威容を見せてくれるのでしょうか。少しずつ春が近付いています。
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大島本『源氏物語』の黎明期。
2011-01-15 Sat 10:41
大島本『源氏物語』が研究の現場に登場し、どのようにその研究に着手されていたのかを考えています。

 ここで想起されることは、既述源義弁引抄に見える一華堂乗阿の説である。彼は青表紙本の証本を周防国守で見たと言ってをり、将軍義政の所持していた本が転々として大内義隆の有に帰したごとく解している。然らば大内家には青表紙証本が二種類存在したことになる。雅康の写した一揃といふものは或ひは政弘の所望により他の一揃を以て写した複本であったかもしれない。おそらくさうであらう。政弘は貴重すべき青表紙証本を当時の名筆たる権中納言雅康に依頼し、複本作成の意味で忠実に写されんことを請うたものと推定されるのである。両書とも婚礼の調度品として用いられた物と称しているが、所伝に関するその類似は、恐らくかうした事情を示唆する物であらう。一華堂の見た本、即ち政弘が雅康に複本を依頼した書本は、大内氏滅亡の際散逸し、雅康の複本は吉見氏に帰していたために難を免れ、今日なほその姿を遺してゐると解せられるのである。
 右吉見正頼所蔵の本がその後どのやうな運命を辿ったか、杳として知るすべはない。ところがこの本は突如昭和五・六年の交に至って佐渡の某家から現れた。佐渡は京都と文化の交流があり、或ひは貴人の配流などの機会にこの島に渡ったかもしれない。大島家の青谿書屋に移り、校異源氏物語の底本となったものである。
 さて、大島本源氏物語は青表紙本中最も信頼すべき一証本であるが、その数量において、またその形態・内容において希有の伝本であり、校異源氏物語の底本として採択、その稿を起こした当時は勿論のこと、その後二十余年に至るもこれを凌駕する伝本を聞かない。

 池田亀鑑「大島本源氏物語の伝来とその学術的価値」『源氏物語大成・研究篇』(中央公論社、一九五六年)

 参考 京極中納言定家本号青表紙宗祇用之に今流布す。一華堂云定家の青表紙を周防国守にて一覧せり。紙は備中のかいた也。外題は青表紙に定家の打付書なり。百四代後土御門院宸筆にて式の外題まんなかにをし給へり。源氏外題を今世に正中にをすは此を是とせり。定家卿自筆は桐壺・花宴・橋姫三冊也。余は俊成卿などの筆也。水尾尽巻うせしを逍遥院殿書たし給へり。東山殿慈照院義政公の御物なりしを若衆の宮内少輔を下されたり。其後、周防国大内良隆へ山名刑部少輔が娘婚の時に乗物に入て遣はせし也
                          切臨『源義弁引抄』
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予期せぬ充電時間。
2011-01-14 Fri 08:24
 会議日。ただし、入試業務は今年免除のため、センター試験前後は勤務不要とのこと。思わぬ充電時間と相成りました。水曜日に懸案の『紫日記』注釈と現代語訳を入稿したため、なんだか手持ちぶさた。映画でも見て過ごします。試験監督ご苦労様です。
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除籍証本。
2011-01-12 Wed 07:14
 本日、新年初出勤。ただし、のんびりと。S社の営業さんが研究室を訪問して下さり、楽しい時間を過ごしました。帰宅すると、調査をお願いしているお宅から、「「除籍証本」を取り寄せているからお待ちあれ」とのご連絡を頂戴していました。誠に恐縮。当方も丹念に調査したので、喜んで下さったものと思われ、安堵しました。
 御礼を考えていますが、源氏香、源氏和菓子、源氏扇子等々と考えて、無粋ながら、やはり科研なのだから、謝金を申請しようという考えに至りました。ひとつの文化史解明の端緒となるだろうからです。
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子どもの頃の年中行事。
2011-01-10 Mon 10:55
 引き続き、大島本『源氏物語』関係で、幕末から明治初期に掛けての人物群像を調査中。併行して『紫式部日記』の注釈は正月行事のくだり。

 ひと一休みしたとき、小学校の母校のページに年中行事の項目があることを知る。十日夜の藁鉄砲、常田の獅子舞。家が境界にあったため、両方ともやりました。
 母校は、佐久の真ん中の都とは何あるものの、水田を埋め立てた「村」の中央にあり、少年時代は家と学校の間には何もなく、下校時にはこどもたちが帰ってくるのが見渡せたものでした。今は新幹線の高架であれこれ遮られています。

 11月10日、「十日夜(とおかんや)の藁鉄砲、夕飯喰ったらぶったたけ」と繰り返しながら地面を叩き、餅を食べるのですが、おそらく民俗学的には、都の文化が派生したもののようです。常田の獅子舞甚句は「西行」も出て来ました。西行と書くと、学会関係者に何か発表させられそうで怖いのですが、この詩句の本文も学術的に分析する必要があるように思います。

 藁鉄砲は、子どもの頃、作ってもらった記憶がありましたが、弟がまだ幼く、一人分。これも終わったらやいてしまうのがしきたりのようでした。これを作ってくれたのが、明治22年(1890)の祖父だったと思っていましたが、ボクが二年生の時、(1970年)80歳で亡くなったので、作ってくれたのは叔父だっのかと思い当たりました。叔父は、父より20歳年長でしたから、1911年(明治44年)生まれ、当時は50代。と言うのも、今、調査をお願いしているお宅が、昭和14年(1939)に、祖父、祖母、父を相次いでなくしたので、みなさん、家系の記憶が飛んでしまっていることが判明。みなさんの記憶と文献とで系譜を再建している途上であるからです。
 みなさんも、自分のルーツをきちんと書き残しておきましょう。

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