藤式部、実資の所労を尋ねる。
写真は一面に散り敷きだした青学の銀杏と六本木ヒルズ・テレビ朝日のイルミネーション
朝から晩までかけずり回る忙しさのピークの一日でした。明治もようやくカウントダウンとなりましたが、青学は発表を終えてまとめ。年度内あと二回と言うところまで来ました。
夕方からは、慶應で『小右記』長和二年三月十二条を、僕がレポート。
十二日、癸卯。
皇太后宮、所労を問はしむ〈女房の仰書を以て資平に送る〉。恐(かしこみ)の由を伝へ啓(もう)さしめむが為、宮(枇杷第)に参らしむ。
※女房=越後守為時女、藤式部、すなわち、紫式部のこと(当時40歳)。
皇太后宮の彰子(当時26歳)が、藤式部を通じて藤原実資の体調を尋ねた記事があるのです。
詳しくは、この本の「紫式部の歿年」で(ただし、当該条は落ちています)。
紫式部伝―その生涯と「源氏物語」 角田 文衞 (2007/02) 法蔵館 この商品の詳細を見る |