物語学の森 Blog版 枕草子の巻
物語学の森 Blog版
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
藤原定子の出家に関する文献二つ
 藤原定子の出家に関する文献二つ。「御鋏して御手づから尼にならせたまひぬ」と類型的な表現のみ。

『小右記』長徳二年(996)五月二日条  
 中宮権大夫扶義(源)云、昨日后宮乗給扶義車 懸下簾、(略)、捜検夜大殿及疑所々、放組入・板敷等、皆実検云々、奉為后無限之大恥也、又云『后昨日出家給』云々、『事頗似実』者。

『栄華物語』巻五「浦々の別れ」
師殿(藤原伊周)は筑紫の方なれば、未申の方におはします。中納言(藤原隆家)は出雲の方なれば、丹波の方の道よりとて、御車ども引き出づるままに宮(定子)は御鋏して御手づから尼にならせたまひぬ。内には、「この人々まかりぬ。宮は尼にならせたまひぬ」と奏すれば、あはれ、宮はただにもおはしまさざらむに、ものをかく思はせたてまつることと、思しつづけて、涙こぼれさせたまへば、 忍びさせたまふ。『昔の長恨歌の物語もかやうなることにや』と、悲しう思しめさるることかぎりなし。①250~251頁

2017-11-08 Wed 06:38
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次は古代の麻薬と音楽について書きます。
 『枕草子』「九月ばかり」「七日の若菜」の輪読報告を終える。次は来月末締め切りの「古代の麻薬と音楽」について書きます。ぼちぼち資料をリサーチ中。
  我が家の周辺、今、日本で最も有名な議員さんのピンクポスター、あちこちで剥がされ始めました。隠れ入院ではなく、本格的な心の治療と、人として、最低限のモラルの再構築もお願いしたい。家族のために。


2017-06-26 Mon 07:48
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『枕草子』「有明の月」の定義。
『枕草子』
  月は、有明の、東の山際に、細くて出づるほど、いとあはれなり。<集成・第二百三十五段>

 「有明の月」は陰暦16日以降の月の謂で、必ずしも明け方過ぎ、日の出以後である必要はなく、「夜深き有明の月」なる表現も存在する。ところが、辞書的には、

  陰暦十六夜以後の月。夜が明けても、なお天に残っている月。ありあけ。ありあけの月夜。『日本国語大辞典第二版』

とあるように、「夜明け」に月が残っているのは必須要件と書かれている。ところが、先の『枕草子』の用例は、「東の山際」だから、朝に月が登らなければならない。以下、『枕草子』に適合する「有明の月」の月出入、日の出の時間を示す。

│ 2015 月出(方位) 月入(方位) 月齢 日出(方位)-旧暦換算)10月│
│10 7 (旧暦8 25) │0:35(93) 13:41(264)│ 23.8│5:55 (95) │
│12 8 (旧暦8 26) │1:37(98) 14:14(260)│ 24.8│556 (96) │
│12 9 (旧暦8 27) │2:24(79) 15:31(279)│ 25.8│5:57 (96) │
│ 2016 月出(方位 月入(方位) 月齢 日出(方位) -旧暦換算)9月│
│926 (旧暦8 26) │1:37 (88) 14:02 (270 )│24.4│5:48 (91) │
│927 (旧暦8 27) │2:31 (92) 14:34 (265)│16.9│5:49 (91) │
│928 (旧暦8 28) │3:25 (97) 15:05 (261)│17.9│5:49 (92) │

 となると、小林賢章氏『「暁」の謎を解く-平安人の時間表現』角川選書、2013年が引用する
 顕昭『顕秘抄』
 「いさよふ月」
 下旬をばおしなべて有明、おほかた十四十五日より月のいらぬさきに、夜のあくるをばみなありあけの月といふべかりけれど、くはしくいへば二十日の後をいふべき也
 
 と、「夜明け」を必須要件とせずに、陰暦下旬の「月」をいうものと解するのが穏当な見解となる。


2017-05-01 Mon 06:56
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桃も開花

 鉢植えの桃の花が今年も咲きました。
2017-04-06 Thu 11:12
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弥生上巳、今年新暦3月7日


 昨年も雛について『枕草子』「うつくしきもの」を記しました。写真は暮れに國學院で頂いた「人形-ひとがた」。
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 平安時代、上巳(節句)の日には、川に禊のための人形(ひとがた)流しをするようになった。古代中国文献に人形(ひとがた)を流す話は見当たらず、これは我が国固有の文化とも言えるもの。つまり、雛はへ、雛形の意で、現代の雛人形、雛壇飾りは江戸時代に始まる。
 この雛流しは、本来、写真のように紙を切り抜いただけの人形(ひとがた)が、だんだん、綺麗な紙人形となり、のち、流さずに飾っておく人形となった。このように本来は、本人に変わって厄を引き受ける身代わりの人形、それが雛人形。身代わりの人形(ひとがた)に託して、長命で豊かな日々がこの一年(そして生涯)送れますように、という親の願いを込めたもの、それが豪華絢爛な雛飾り本来の姿である。

 諏訪市博物館の「清昌院の雛人形」は今年も展示しているようです。駒ヶ根出張があるので途次都合をつけて展観予定。清昌院は松平定信の娘・烈姫。高島藩8代藩主諏訪忠恕に嫁いだ際の輿入れ道具と伝わるもののひとつ。この中には古典籍や『竹取物語絵巻』もあります。

2017-03-04 Sat 07:55
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