物語学の森 Blog版 高木文
物語学の森 Blog版
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
大島本『源氏物語』と佐渡・紀州人脈
 昭和8年頃、傳飛鳥井雅康筆本『源氏物語』(大島本)数冊を携えて、南葵文庫主事の高木文のもとにやってきた「田中とみ」に紹介状を書いたのは、以下の三名。

○山本悌二郎(1870-1937、佐渡相川出身、元農林大臣、新潟一区選出衆議院議員(立憲政友会)、三島由紀夫『宴のあと』のモデルで元外務大臣・有田八郎の実兄。昭和11年2月の衆議院選挙で11選ののち、議員辞職。この間、昭和10年には美濃部達吉の天皇機関説を批判し、国体明徴運動を主導、大東文化学院副会頭、第五代会頭。昭和12年12月、大東文化学院玄関で脳溢血に倒れる)
○前田米蔵(1882-1952、和歌山県出身、旧東京府6区選出衆議院議員(立憲政友会))、
○山東誠三郎(1888-?、和歌山県御坊市出身、慶應義塾大学理財科卒業、紀州家理事、第一回参議院議員選挙(1947)和歌山選挙区から出馬するも落選、当選は紀州家当主徳川頼貞)の紹介状を持参していたという(『書物展望』昭和10年8月)。

 「紹介状」は佐渡出身の山本悌二郎が主導し、高木文を買い主候補と定め、高木文が主事を務めた南葵文庫の繋がりから、和歌山県出身で、立憲政友会の同僚代議士・前田米蔵、さらに紀州家理事の山東誠三郎の「紹介状」を揃えたものと思われる。

2017-10-09 Mon 08:27
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田中亮一・田中とみ覚書
佐渡全図1954 佐渡全図 昭和28年

佐渡中心部地図 

 『新穂村文化の先達』(川上三吉編著 昭和62年)
田中亮一

 舟下、県会議員、農会長をつとめる。昭和の初期、田中氏の蔵書を全部(約三千冊)新穂文庫に寄贈し、田中文庫と、呼称していたが戦後新穂公民館が建設され新穂図書館が新設された時合併し、現在の図書館となった。没年不詳なるも、昭和十二年頃と云われる。
 殿守りの朝清めする袖にさへ匂ひみちたる園の梅が香
 祝五五寿雅
  四濱浪静起謡声 松籟共和唱寿栄
  即是阿兄五五宴 重歌万歳心成名
 つむ雪ににほひこぼるる梅の花さきかけて祝ふ君のことぶき (川上久敬蔵)

田中トミ
田中亮一の妻。武井、田辺家の出、主人亮一を助け、県会その他に主人が活動の内助の傍ら、婦人会の幹部とし婦人会運動に一生を捧げた。大正七年(1918)35才副会長、大正13年会長、大正15年佐渡郡婦人会婦人部副会長をつとめ、県連合会の役員を歴任した。尚その役員となるや生活改善、風俗改良運動を提唱し、率先実行した功績は、大なるものがあった。昭和三十五年七月一日没、行年七十七歳
 千早ふる神代ながらのかわかみにすみ渡るべき末は幾千代 田中とみ子

 注記 川上久敬氏(1902-?)は、新穂村教育長、朱鷺保護活動の尽力で勲五等瑞宝章。旧制佐渡中学を大正8年(1918)年卒業。「五五宴」を久敬55歳(昭和32年)とすると、亮一は没しているので、久敬の父の55歳を言祝いだものか。

 政治家としての田中亮一は以下のようにあり、県会議員を務め(第十五回当選)、のちに衆議院議員に挑戦したもようである。

 『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)
新穂村 ・明4、佐渡毎日新聞社[三十五年七月十三日]・明4、第十五回選挙[四十年九月]・明4、第十六回選挙[四十四年九月二十五日]・大1、第十七回縣會議員選挙[四年九月二十五日]・大1、野澤卯市中蒲原郡より選出さる[四年九月二十五日]・大1、第十三回衆議院議員選挙[六年四月二十日]・大2、政友倶楽部の春季大会[七年八月二十七日]

2017-09-30 Sat 08:39
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荷風のはなしを少々



 以前、紀伊徳川家・南葵文庫の主事・高木文の動静を追って、『断腸亭日乗』を読みました。火曜日には、荷風の話を少しばかりしなくてはならず、予習していたところでした。そしたら、荷風の血縁にあたる方が壇上にいらっしゃいました。こういうときには同席しないと窺っていましたが、禁を破らねばならぬほどの大事な席と言うことでしょう。『敗戦日記』を本棚から取り出して来ました。

 あるレポート提出日。ポータルサイトに貼り付けてくれれば、提出日時も分かるようになっており、こちらがダウンロードして印刷するシステム。締め切りに遅れると赤く表示され、コメントも付けられます。手渡ししてくれた女子学生がいました。二通作って、一通は特大活字。こちらは、気がつきませんでしたが、やはり視界が狭くて立ち居振る舞いの中で、苦労しているふうに見えていたのか、心遣いが身に沁みた、蕭蕭と雨の降る夜でした。


 
2015-11-10 Tue 06:44
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關戸家定家本『源氏物語』「行幸」巻の落札額

高木文「賜架書屋随筆」『書物展望』第五巻八号、1936年(昭和10年)8月

此春關戸の入札に源氏行幸巻一帖は寛永七年に烏丸光廣が定家卿の眞跡と奥書してゐる、いつもの筆跡と異る様に思はれたが、墨付卅九枚で三千五百圓であつた。松浦伯爵家の為家の浮舟の帖、頼政の總角の帖一ツ橋徳川家の讃岐の乙女の帖等、最近には色々と出て来る。典籍として一番高値のものは西本願寺の卅六人集の内、伊勢、貫之の二帖で何十萬圓は別として、西條松平家の貫之の堤中納言集三萬四千圓、行成の倭漢朗詠集二冊二萬七千圓、赤星家の俊頼の古今集序八萬二千圓、行成の朗詠集八萬圓、秋元家の西行齋宮集二萬七千圓、古河家の萬葉集は何萬圓だつたか覺へない。古筆典籍の高値には驚くが愛書家の氣を吐くものだ。いかに西鶴本だ古活字本だ宋版だといふも何萬以上の話を餘り聞かないから、其等の方面の古書も高値になつてよいし此後流行し高値を呼ぶは自筆本と寫本の一部だらう。之こそ一本だから。

註 為家本「浮舟」巻、頼政の「總角」巻は、名古屋市蓬左文庫、讃岐の「乙女」巻は桃園文庫を経て、天理図書館蔵。卅六人集の『貫之集』、『伊勢集』は1929年(昭和4年)分割されて「武蔵野女子学院(現・武蔵野大学)」の資金に当てられた。 

2012-09-22 Sat 15:16
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高木文『泰山荘之記』昭和11(1936)年
 欧州留学後、史跡保存運動の指導者でもあった紀州家当主の徳川頼倫は、東京神田五軒町 (現在の千代田区外神田)の松浦武四郎旧邸を訪れた際、全国の友人、知人から寄進された神社仏閣や歴史的建造物の古材を使って造られた「泰山荘の一畳敷」(明治19(1886)年建造))に目を留め、これを保存するため、飯倉の南葵文庫裏庭に移築しました。昭和天皇との婚礼を控えた東伏見良子女王を迎えて落成記念式典が挙行されています。関東大震災前、渋谷代々幡町代々木字上原 (現在の渋谷区上原)へ移転していた紀州徳川邸内に再び移築されました。

 1925年  (大正14年)、頼倫の死後、彼の設計に沿って「高風居」と名づけられた六畳の茶室が造られ、一畳敷はそれに取り付けられました。

 1934年 (昭和9年)日産財閥の重役職にあった山田敬亮が三鷹の野川沿いの高台を購入。富士山を臨むこの絶景の地に、東京裏千家の師匠、亀山草月の監督のもと、5年をかけて、数々の歴史的建造物を集めた「泰山荘」と呼ばれる別荘を移築し、これを記念して昭和11(1936)年、高木文の『泰山荘之記』和装本が造られたわけです。

 1940(昭和15)年、中島飛行機会社社長中島知久平に売却。
 1950(昭和25)年、国際基督教大学の所有となり、現在に至ります(現在、補修工事中)。



2011-08-28 Sun 08:28
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