物語学の森 Blog版

このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。

『風立ちぬ』の昭和

 

 話の前提にも関わらず、学生が知らない、読んだことがないことが判明したので、とりあえず。ダイジェストを見せたところ、「観に行きたい」との声が挙がりました。

 作中の草軽ホテルの赤い屋根は上高地帝国ホテル。これを軽井沢のホテルの設定としたようです。関東大震災の時代。高原で絵を描く里見菜穂子の吐血のシーンが生々しく、結核のイメージが喚起されるのはよいが、美化されすぎるのもまた問題。手当の手段がなかった時代には結核菌が全身を破壊してゆく恐ろしい病気だったことも必ず話す必要があります。もちろん、医学の進んだ現代は根治可能。高校時代、石屋さんの友人が結核で3ヶ月ほど入院し、お見舞に行ったことを思い起こしました。昭和も終わり頃の話です。


映画・風立ちぬ
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躑躅、そして借景の浅間山


  万平ホテルロータリーの躑躅。さらに借宿・遠近宮から御神体の浅間山を望む。3月の来訪時は二回とも降雪だったので、神域を回ってみると池があり、菖蒲の花壇が綺麗に整備され、北側は児童公園。国道18号の交通渋滞を避ける車が多いことを除けば、こどもたちの格好の遊び場だと思います。
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旧軽井沢江戸屋さん


 旧軽井沢銀座の江戸屋さんは脇本陣時代の屋号。残念ながらお休みなので次回再挑戦。チャーチストリートCAKE SAKUG で栗づくしソフトを食しました。小布施の栗菓子専門店だそうです。
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慶長15年閏2月9日(1610) 仙石秀久、佐藤織部に佐久郡発地の地を給す。

「軽井沢 宿本陣佐藤家文書」 92

  為知行被下分之事
一百五拾貫文  發地組之内
 右令支配畢去年
 物成より被下候條
 全可領知者也
 
慶長拾五年
 閏二月九日   秀久 押印
    佐藤織部殿 

 蔵書のひとつ 『軽井澤町志-歴史篇』( 軽井沢町志編纂委員会、1954年)の「口絵」の筆頭にあげられている著名な文書ながら、翻刻はなく、難渋していたところ、長野県立歴史館『信濃史料-補遺篇』下巻の該当記事に行き当たりました。
 仙石秀久(1552-1614)の生涯がまさに波瀾万丈。戦国の世をたくましく生き抜いた人。その戦国武将から賜った地が、現在の軽井沢町大字発地。軽井沢プリンスホテル南、国道18号線が目印となります。一月のバス事故の地も旧・発地地区。本陣佐藤家のひとりがこの地を継承(前町長さんの家)。300年後の幕末明治、大正、昭和を生きた佐藤嘉藤治の長男・作十郎(1847-1936)が、明治14年(1881)、上原菊次郎の養子となり、佐久郡中佐都村にやってきたことから、我が家の歴史が始まるということでしょう。

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『戦国遺文』と『軽井澤宿本陣佐藤家文書』




 自身のリテラシーではまったく太刀打ちできないので、専門家に文献をお示しいただくことにしました。『軽井澤宿本陣佐藤家文書』史料番号85番は、明治42年に当家で新写したものですが、これらの釈文が『戦国遺文』「武田氏編 」「後北条氏編」各巻(東京堂出版)に収められています。これらを上下で対照させつつ解読。主家発令文書は、尽く「飴と鞭」が前提。血判で忠誠を誓わせ、言うこと聞かなければ弾圧、報復、手柄を揚げれば恩賞。昭和の時代の大学の研究室の如し(!? )。ちなみにわたくし、いちおう平成の大学院生です。
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