物語学の森 Blog版
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高松宮女二宮の質入れ借財のこと。
2019-10-21 Mon 07:30
越後高田藩・松平家の茶道具・典籍・刀剣を傳領した高松宮(のちの有栖川宮)女二宮であったが、その6年後には経済的に困窮し、お宝を次々に質入れしていたことが判明。回収不能の4点を除き、32点を、大月六郎左衛門と高洲平右衛門の許で管理することになったという。ただし、定家本『源氏物語』の「若紫」「野分」、為明筆『金葉集』、為和筆『伊勢物語』は、質には入った形跡はない。「二宮殿の勝手不如意、近年の内に大分借金出来、指当不断、之れ続け難く成り、今更、仕様無きの段」とある文章に家臣達の苦衷が読みとれる。以下、ゴチックの刀・脇差は回収にこれ務めたようである。二宮薨去後(1700年)の典籍の行方についてはなお探索中である。

  二宮衆より此方へ参る目録     貞亭三年(1686)四月五日
(包紙上書)
「宮様衆より此方参目録             一通
          封
    貞亭丙寅四月五日」
  
     覚
一、 越後殿道具・武具之外者遠江守様・出羽守様御両所エ御支配之儀従 公儀被 仰付、如何様共御形付之道無之故御老中様江御内意御窺、二宮殿エ不残被進置候、則高田江其節御候御目付衆御改、御帳面ヲ以去酉歳御渡候品、拙者共不料簡ヲ以二宮殿当分任勝手、質物ニ入売払抔仕茂有之段、今度預御不審行当無是非仕合致迷惑候、然上其儘預リ置候段遠慮多存候間、相残三拾弐廉之道具御両家江内分預ケ置申度候段今度申達候得共、思召共在之無其儀候、依之堀田長右衛門・高洲丙右衛門両人預リ役人ニ罷成、夏冬手置等念入、其節御一門様江相伺無油断可相守之由被仰聞趣一統致承知候
一、 二宮殿勝手不如意近年之内大分借金出来、指当不断之続難成、今更不仕様無之段、何茂以相談申出候処ニ、内所向之儀相談難成候得共、此度今迄之借金納所相済候ハ、已来ハ如何様ニ茂被相談候様可仕与申儀ヲ御聞届、右三拾八廉之内道誉一文字代金百枚刀一腰、 左弘行代金三拾五枚之刀一腰、左安吉代金拾五枚之脇指一腰一休自画自賛手鑑、右四廉質物ニ成在之間、此分如何様とも二宮様御心次第ニ仕、向後御合力米之内ヲ以被相続候様ニ諸事可仕旨委細得其意全可相守候、為後日如此御座候、已上
                             大月六郎左衛門 印
 貞亭丙寅四月五日                    高洲平右衛門  印
                             堀田長右衛門  印
               柳多主計殿         興津市左衛門  印 
               神尾帯刀殿         に し お   印
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大井田晴彦著『伊勢物語-現代語訳・索引付』
2019-10-20 Sun 08:04


 著者から拝領。ありがとうございます。三弥井書店さんのtweetで刊行を知った本。先の学会にギリギリ間に合わせるために版元もご苦労されていたにもかかわらず、台風で出展を断念された由。好セールスを祈ります。

先行注釈書、とくに片桐洋一『伊勢物語全読解』(2013年)の存在もあり、これを超える語釈はなかなか提出しにくい状況にあるものの、鑑賞欄に重点を置き、歌ことばの磁場、そして和歌表現を巧みに読み解いておられる本。ぜひ御高架をお願いしたい。

 なお、第十段の「入間の郡、三芳野の里」については「坂戸市周辺か」(30頁)とあるが、『とばずがたり』巻四から、「みよし野」が米の不作から「吉田」に改名されたとあることから、史学では、すでに定説化され、三角洋一氏も新大系において「吉田」の地を「川越市大字吉田」と特定されている(ただし、三角氏も「三芳野」については坂戸、川越、広い地域と揺れている/187頁)。重版に際しては、拙ブログの『伊勢物語』カテゴリーも参看願いたい。


 
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後藤祥子著『平安文学の謎解き-物語・日記・和歌』
2019-10-19 Sat 05:46


 著者から拝受。まことにありがとうございます。以前から、常々、著作集を出していただきたいと思っていたところ、多方面からの要請に応えて、一巻本選集を上梓されたと思しい。しかも、あとがきに「一冊出して終わりにしなさい」と助言があったと記されてあるから、それが著者のご意志のようである。「清原元輔の晩年―「無常所」をめぐって―」「清少納言の居宅―『公任卿集』注釈余滴―」の二本は、平安京の地図とともに、ファイルにまとめてよく読み返す論攷。先生ご自身も踏査されたと思しい愛宕山月輪寺、先生のお説の西坂下の月輪寺の二箇所はぜひ尋ねてみたいところだ。「謎解き」=考証の方法の基本モデルとして長く読み継がれる名著。ぜひ御高架を。

 目次
物語とその周辺
 二条后物語の成立
 伊勢物語成立の意義
 光源氏の原像
 中川の宿―「帚木」巻読解―
日記・家集
 秘められたメッセージ―『蜻蛉日記』の消息の折り枝―
 『和泉式部日記』前史―為尊親王伝の虚実―
 紫式部日記の解釈一つ―「御格子まゐりなばや」―
 平安女歌人の結婚観―私家集を切り口に―
 更級日記の陰画
 清原元輔の晩年―「無常所」をめぐって―
 清少納言の居宅―『公任卿集』注釈余滴―
和歌史の周辺
 河原の院「塩釜」庭園の命名者
 平安の万葉二題―山口女王歌と「をはただ」―
 『秘府本万葉集抄』の作者
 女流による男歌―式子内親王歌への一視点―
あとがき
引用文献著者索引

武蔵「月の輪」考
空を見上げる清少納言

清少納言邸宅想定図
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「御拝領物類」の「権現様以来御拝領物 並御手跡」は公儀召上、他は高松宮二宮へ。
2019-10-17 Thu 08:08
 大石学『近世公文書論 公文書システムの形成と発展』岩田書院、2008年に、以下のようにある。

光長の同母妹亀子(宝珠院)と高松宮好仁親王との間に生まれた女子二宮で、光長の姪にあたる人物である。史料の「御拝領物類」は、このとき二宮に譲られた諸道具の内、格別に由緒のある三八点の道具を書き上げた覚書である。 261頁

 「権現様以来御拝領物 並御手跡」は公儀召上とあるが、「御手跡」は権現家康のものと読めるから、冒頭の権現様から一白様(松平忠直)が手ずから拝領した茶道具「初花」や「権現様御筆短冊 御掛物一幅」を除き、「若紫」「野分」の定家本『源氏物語』二巻、二条為明筆『金葉集』、冷泉為和筆『伊勢物語』の典籍は高松宮女二宮が継承したことになる。二宮は、未婚だったようで、生年も名前も現時点では不明。1700年で薨去しているから、公儀に再び召し上げられ、再分配されて黒田継高に渡った可能性も残されるであろう。

「御拝領物類」

都合三拾八稜

今度 越後中将様(松平光長)御進退被召上候節、御領越後高田ニ有之諸道具 公儀江被召上候外、遠江守(伊達宗利)・出羽守(松平綱近)方より両家来指遣之可為請取之旨被 仰渡候、於彼地御目付付蒔田八郎左衛門殿(定成)・中坊長衛兵殿(平出)(秀時)・御勘定頭高木善左衛門殿(守養)御吟味帳面ニ御渡候内 権現様以来御拝領物 並御手跡者 公儀江差上之、 其外 宮様江進之可申哉と被相伺候へとも、右之品々茂御構無之旨大久保加賀守殿(忠朝)被仰渡候間、諸道具不残 宮様へ被致進上之、併、右三十八ケ条之分ハ、各別之御道具被存、各迄如比別紙帳面相渡様ニ被申付候、以上
                  伊達遠江守内
                    神尾外記
    天和元年辛酉十二月日       印判
                     書判
                  松平出羽守内                       
                    柳田四郎兵衛
                     印判
                     書判
高松様之二宮様御内
     西尾様    
     奥津一郎左衛門殿
右之御道具酉ノ十二月相渡筈之所、月廻御双方取込之節故相断、翌年戌三月晦日・四月一日両日相渡候、然とも御帳面日付ニハ右之通記之
                  松平出羽守様より
                    岡野市座右衛門
                    雚部九右衛門
                    御歩行目付壱人
                  此方
                    萩原源太左衛門  
                    松木角左衛門
                    脇田源右衛門
右之人数牛込御屋敷持参相渡、但、覚右衛門儀ハ御刀脇指此方当分御預之内為修理預居候候故、直ニ為相渡候事
                 (愛媛県宇和島市伊達文化保存会所蔵)
                    

○高松宮好仁(1603~1638年)後陽成天皇第七皇子、母・近衛前久
○亀姫(高松宮寧子)(1617~1681年)。亀姫とも(松平寧子) 松平忠直娘。徳川秀忠養女。寛永7年(1630年)、好仁の妃となり、二王女を産む。好仁親王薨去後、落飾して宝珠院と号す。越後で薨ず。
○高松宮明子女王(1631?~1680年7月8日)後西天皇女御。八条宮長仁親王の母。
○高松宮二宮(1938以前~1700年)高琳院松誉宝月円清


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高田藩主・松平光長旧蔵、為明筆『金葉集』、為和筆『伊勢物語』
2019-10-14 Mon 06:37
 金曜日の新幹線運休告知で予約はキャンセル。それでも13日の新幹線が動けばと思って待機していたが、如何せん東京駅までたどり着けないことが判明したので、学会は欠席。予想通り、昨日のアクセス解析は「定家本「若紫」巻」に集中。研究者の関心が高かったことがよく分かるものだった。参加していないので、詳しいことは分からないが、いずれ影印も刊行されるもようである。つれづれに、あれこれリサーチしていたら、下記目録で定家本「若紫」「野分」の他にも注記すべき典籍『金葉集』『伊勢物語』があったので、調査メモを残す。

○高田藩主・松平光長所有目録「御拝領物類」(1681年)。

御拝領物類
  目録
権現様(徳川家康)御手自一白様(松平忠直)御拝領由、但、大坂御帰陣之節於二条城
 一 初花肩衡 袋しゆかうとんす 茶入壱ツ
台徳院様(徳川秀忠)より御拝領之由     薄(落)雁
 一 牧渓           掛物一幅
大御台様(高巌院、家綱室・伏見宮貞清親王の顕子女王)より高田様(松平忠昌)へ被進由 
 一 為明筆金葉集  一冊

広国院(光長妻室)様御遺物之由
 一 定家卿 若紫 一冊
豊後(松平忠直)より来ル無極由
一 定家卿 野分    一冊
豊後より来ル天福之本之写 二条家種本之由  
一 為和伊勢物語   一冊

 『金葉集』は、同名の伝本がノートルダム清心女子大学の正宗文庫にあり、『新大系』の底本である。正徹の旧蔵である由。高田様は、前藩主・松平光長(1615-1707)を越後殿と呼称しているから、叔父の忠昌(1598-1645年)であろう。
 大御台様は、この時(将軍・綱吉)の先代御台様となると、家綱室、・伏見宮貞清親王の顕子女王(1640-1676年)である。姉は、阿仏尼本を紀州家に持参した安宮照子(1625-1707年)。となると、伏見宮家の蔵書と言うことになるが、「奥書」がないので、目録と写本との関連は確認できない。
 『伊勢物語』は、御所本として、宮内庁書陵部に為和筆の写本が存在する。江戸の半ばに京都御所に収められたという。こちらも、影印が数種刊行されている。
 なお、定家本「野分」をもたらした「豊後」であるが、乱行により、元和9年(1623年)、将軍・秀忠の命で隠居して出家し、「一伯」と号した父・松平忠直(1595-1650年)のことであろう。この年、5月12日、竹中重義藩主の豊後国府内藩(現在の大分県大分市)へ配流、謹慎となっているから「豊後」とのみあり、敬称もないのであろう。ただし、目録冒頭には「一白様」ともある。隠居前を「一白様」、隠居後を「豊後」と書き分けたか。

 以上の人物比定は私のリサーチ。ご批正を乞う。

 
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