物語学の森 Blog版
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このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
吾輩は猫のえさ番である。

 我が家の書斎玄関前をひなたぼっこの塒にしているオッサン猫13歳が体調悪化。頻繁に面倒を看ている。毎日見送りありがとう、と。私はにゃん太郎と呼び、お向かいの兄弟は「たく」、お向かい右のお父さんは「とら」と呼んでいる(^^)。
2017-11-19 Sun 09:49
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若き日の志を忘れないで頂きたい。
 ある友人から、大学の兼任先で、契約に関する説明会に出席要請がきたという話があった。改正労働契約法第18条により、通算5年を超えたときには、労働者の申込みにより、期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換できる権利が、来年度から発生することから、その対策として行われているらしい。そこで、半期科目を挟んで半年休み、契約を継続するような奇策もある。ただし、これも通算5年だから、数年遅れでいずれやってくる。専門家に尋ねると、これは法の網をすり抜けようとするものであるから、脱法行為、つまり「違法」と言う解釈だそうである。当然の事ながら、教育機関はもっとも法令遵守を履行しなければならないところのひとつであることを忘れないで頂きたい。

 以前、私には弁護士を名乗る学校関係者(もちろん偽弁護士)から、公印文書が届いたことがある。もちろん、関係者二名は翌年度までに更迭されたものの、その前後も唖然とする事態が続発した。

 本来、こうした奇策を考え出す経営者各氏は、全共闘世代、世の権力や不正と戦う世代であったはず。安保法制で戦った国会議員諸氏が、選挙目当てであっさり「踏み絵」を踏んだのに失望したのはつい先々月のこと。
 若き日の志を忘れないで頂きたいと思っている。

2017-11-17 Fri 08:42
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長元四年(1031)、力士の反則行為の「調査委員会委員長」は藤原実資だった。
 日馬富士の暴行問題。格闘技は昔から絶えない問題。これは平安時代にも問題になっている。
 長元四年(1031)7月29日に行われた天皇御覧の相撲節では 、阿波の相撲人・良方は、敵の髪を執る反則があった。良方は後一条天皇の命令により、近衛府に拘禁される。8月3日、右近衛大将・藤原実資が赦免を天皇に言上、翌日保釈されている。当時、力士の反則行為等の「調査委員会委員長」は、右近衛大将の専権事項、それが藤原実資だった。右府賢人と称された実資(75歳)、すでに右大将を任じて30年、天皇、諸大臣も子の世代にあたり、発言権は絶対だった、ということになる。

 『小右記』
七月廿九日 小時、『阿波相撲良方執敵髪。有勅。令候府』者。
八月三日、早旦頭中将(源隆国)来、談相撲間事、阿波相撲人良方候府住所者、明日左・右大弁(藤原重重尹・源経頼)可参入由、示遣之。有可参之報。
八月四日、己卯、阿波相撲人良方被免候府、所内大臣(藤原教通)伝勅云々。

2017-11-15 Wed 06:42
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散位時代の藤原為時は困窮していたか。
   宇治十帖と作者の論文はいちおう擱筆。紙幅の関係でカットした引用と覚え書き。紫式部が源倫子家乳房として出仕することになる前提として、以下のようにある。

 為時は花山天皇の時代に蔵人式部丞に任じられ、天皇の近侍になる光栄に浴したが、まもなく花山天皇が藤原兼家一門の謀略に掛かって、在位二年間で退位するや、その後十年の長きにわたって散位のまま放置された。その間、文人として尊重されたが、無官となれば職田を失い、俸給は従五位下の位階につく位田八町(『令義解』)と若干の位禄・季禄が主たるもので、祖父兼輔の遺産があったから日常生活に不自由はなかったにしても、貴族の体面を保つためには経済的な余裕などあまりなかったであろう。当時の申し文には、たとえば、源順が散位十一年後、天元三年(九八〇)正月に提出した文章に、「当干年老家貧歎深愁切」(『本朝文粋』第六)とあるような貧困を歎く文句が多く、為時自身も、これよりのち、二度目の散位時代に、「門閑元謁客」(『本朝麗藻((×草))』巻下)と題する詩を賦して、身の不遇と邸宅の荒廃を嘆いている。表現に誇張があったとしても、それが説得力を持つには誇張するに足る実質がなくてはなるまい。『江談抄』第五・詩事に伝える、大江匡衡が藤原行成のもとに送った書には、為時を含む六人の詩人の名を挙げて、「故主甘貧」と記されているが、十年間にわたる散位時代は、官吏為時にとって貧に甘んじて風流韻事に遊ぶには、あまりにも長すぎたと思われる。

 徳満澄雄「紫式部は鷹司殿倫子の女房であったか」「語文研究」六二号、九州大学国語国文学会、1986年12月
 
 正一位の位田八十町90ヘクタール、従五位の八町は9ヘクタール。女はその2/3。その「位田の耕営方法は、多くは班田農民の賃租(土地の借耕)によったと思われるが、その場合、田主の純収益は、賃租の地子(穫稲(かくとう)の20%)から租(穫稲の3%)を差し引いた残り、すなわち穫稲の17%であった(村山光一)」「日本大百科全書」 

 現在の水田の場合、普通の米で、1反(10アール)当たり・10俵、1ヘクタール(1町)、100俵、6000kgで豊作とされる。
 となると位田八町の米の収穫は54,000kgで、その田主の純収益17%は 9180kg。現行の米は農林水産省の平成28年度の取引価格が10kg換算、2,385円、amazon で10kg、3,200円~4,400円前後だから、2,385円換算で、2,189,436円。
 ところが、『延喜式』「禄物価法」では、下記のように規定されている。
 
 絁=稲30束、綿一屯=稲3束、鍬一本=稲3束、田地一反=稲72束。
 稲一束は現代の米二升に相当 (現代の米二升(3㎏)は800円換算)

ちなみに従五位の官僚は稲8973束。従五位の年収は358万円換算となる(山口博氏は従五位の山上憶良で1400万円とする『日本人の給与明細 古典で読み説く物価事情』角川ソフィア文庫、2015年)。ちなみに、正一位はその十倍なので、位田収入だけで約三千万円。散位の場合は位禄がないので満額ではないが、「為時は「困窮」の生活とは必ずしも云えないように思われる」と書いたものの没。

2017-11-12 Sun 08:51
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「桃の花」詠の特殊性
陽明文庫本 『紫式部集』
   桜を瓶に立てて見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて、
36 折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひ隈なき 桜惜しまじ
     返し                        
37 桃といふ 名もあるものを 時の間に 散る桜にも 思ひ落とさじ
  ※ 36 実践女子大学本「挿して見るに」、37 実践女子大学本「返し、人」

廣田收・上原共編『紫式部と和歌の世界-新訂版』武蔵野書院、2012年の廣田收先生の注解は以下の通り。

桃の花-百(もも)という長寿を意味する名。『古今集』以後「桃」が歌われることは珍しい。桃を紫式部に、桜を宣孝に喩える説(『叢書』『(和歌文学)大系』)も。上原作和は「もも」を紫式部の幼名という。「新婚時代間もなく、桃の節句を控えての贈答」(『新大系』)

廣田訳 桃の花よ、折ってみれば散るさまがより優れていてほしい。思いやりのない桜を惜しむことなどしない。
廣田訳  百というめでたい名前もあるのだから、時の間に散るような桜には思い落とすことはしないでおこう。

 「桃」は、西王母が漢の武帝に、3000年に一度実のなる不老長寿の桃の実を献じた故事(『漢武内伝』)や、陶淵明『桃花源記』の「桃源境」の伝説から長寿の隠喩であり、「桜」は、はかなく短命であることの隠喩であろう。

西本願寺本『平兼盛集』「巻末佚名家集」
  又、三月三日、桃の花遅く侍りけるとし
110 わが宿に 今日をも知らぬ 桃の花 花もすかむはゆるさざりけり
                           (はなもすかむははゆるさらけり 本まゝ) 
 これは三月三日の上巳の節句には、往時、曲水の宴が催された際、酒に桃の花を浮かべて飲む風流韻事のあったことが念頭にあろう。古くは『万葉集』や漢詩の「題詠」に「桃花」は見られるものの、この時期に和歌に詠まれるのは、紫式部と娘に共通する、和歌史的にも特筆すべき方法だと思われる。

2017-11-11 Sat 08:34
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