物語学の森 Blog版
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近藤裕子・由井恭子・春日美穂著『失敗から学ぶ大学生のレポート作成法』
2019-04-22 Mon 08:29


 著者のひとり春日さんから拝領。ありがとうございます。大正大学の初年次教育立ち上げから勤務されているみなさんが分担執筆したテキスト。文系学部の学生もSNS等、表現方法も多様化したものの、アカデミックな文章となると、実態に合わせた工夫が必要。そのアイデアがふんだんに活かされた本。関係者はぜひ御高架を。
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神野藤昭夫校注『八重葎・別本八重葎』(中世王朝物語全集13)
2019-04-12 Fri 08:28


著者・神野藤さんから、渾身の労作・中世王朝物語全集13『八重葎・別本八重葎』拝受。ありがとうございます。

 ふたつの物語の底本はともに著者架蔵の紫草書屋蔵本。前者は吉田幸一旧蔵、後者は「天下の弧本」。これにこのシリーズでは異例の校本を備えた全注釈。腐心の現代語訳も読みやすく、物語内容を把握するのに至便。全体を統一するに当たっては大学院受講生の助力も必ずや必要で、横溢する学殖とともに教育力にも圧倒されつつ、拝読中。

 センター試験の入試問題の定番となったこのシリーズ、配本第一回からの定期購読者でもあるが、まさか、平成のうちに完結しないとは思いもしなかった。編集委員の先生方も物故者が相次ぎ、お元気なのは大槻修先生のみ。『夢の通ひ路』の校注者は、2006年、中京大学の学会で、担当者に校正刷りの話をしていたように記憶するが…。いずれにせよ、私が教壇に立っているうちの完結を切に希望する。

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後藤康文・倉田実・久下裕利編『狭衣物語の新世界』
2019-04-09 Tue 08:02


 知の遺産6 『狭衣物語の新世界』を執筆者の萩野さんから拝領。編者が二本ずつ論文を書き、斯界の最前線に立つ研究者の論文に、新進気鋭の手になる文献目録を配して、品切れ続出、大好評のシリーズ。じっくり勉強させていただきます。萬謝。
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渡瀬昌忠著『万葉一枝』「大伴旅人「梅の花散る」」
2019-04-08 Mon 08:29


 あまり知られていないが、渡瀬昌忠先生は、大東文化学院国語国漢科卒業の後、國學院大學御卒業、私の大先輩でもあり、恩師でもある。大学院の上代文学演習は厳しい指導で知られ、履修者は黒田徹さんと私、近代の女子院生の三人。先生には、実践移籍のお祝いの時、大東文化学院音頭を教えていただいた記憶があるが、まったく思い出せない。

 その渡瀬先生が歌誌に連載した古典エッセイが『万葉一枝』(塙新書、1995年)。
 その第一章「春の歌のしらべ」には「大伴旅人「梅の花散る」」がある。
曰く、

 梅は外来植物で、古事記、日本書紀、風土記に見えず、飛鳥京時代まで渡来した痕跡がない。奈良国立文化財研究所の飛鳥藤原京跡発掘調査部でも、まだ梅の実(核)の出土は確認されていないようだ。平城京の庭園跡からは出土しているし、万葉集では奈良時代の神亀・天平以後、貴族官人の歌に見えてくるが、漢詩では懐風藻の葛野王の「春日翫鶯梅」と題す五言八句の一首がある。

 と始まる。武田祐吉『竹取物語新解』(明治書院、1950年)の索引を作成されたという渡瀬先生、徹底的な文献学者で、奈良の発掘調査報告にも精通されていた。「令和」を契機として、書庫の万葉研究書を読み返し、こういう隣接科学を基盤とした研究こそ、普遍の価値を持つのだと再認識した、私の中の「万葉体験」であった。
 考えてみると、「朝日新聞」で対談をしておられた辰巳先生、フジテレビの「めざましテレビ」で解説しておられた日吉盛幸先生と私の母校は三人の万葉学者がいたのだった。今はひとり孤塁を守るかたちとなった上代文学のYさんには、昨年暮れ、「万葉やってもらわないと」と声を掛けはしたが、『源氏物語』と並ぶ研究史、新分野を開拓するには、気力と膨大な時間が必要で、学統の継承は、「天の利、地の利、人の和」揃ってこそ成り立つものであり、かくも厳しいものであるようだ。


 

 
 
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新元号「令和」と「梅花歌序」の望郷、相聞の主題性
2019-04-07 Sun 17:15
 火曜日から始まる講義用に作成。楽府題「梅花三弄」。この歌群の主題を選考に当たった政府首脳が理解していたら、」令和」なる元号は、一案に留まっていたのかも知れないと思われるメッセージ性の強いものである。



 なお、当該曲は『余明 王昭君を奏でる』の一曲目に収載。
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巻五 梅花の歌三十二首并せて序
天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。加之(しかのみならず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷ふ。庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(しやう)を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然と自ら放(ひきしまま)にし、快然と自ら足る。若し翰苑(かんえん)にあらずは、何を以ちてか情(こころ)を述べむ。詩に落梅の篇を紀す。古(いにしへ)と今とそれ何ぞ異ならむ。宜しく園の梅を賦して聊(いささか)かに短詠を成すべし。                     (原漢文を書き下した)
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天平二年(七三〇)正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしへと今と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。
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梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず わが家(へ)の園に ありこせぬかも(八一六)
                             少弐小野大夫(老)
訳 梅の花は今咲いているように散り過ぎることなくわが家の庭にも咲いてほしいよ
春されば まづ咲く庭の 梅の花 独り見つつや 春日暮(はるひくら)さむ(八一八)
                             筑前守山上大夫(憶良)
訳 春になるとまず最初に咲く梅の花をわたしひとりで見て春の日を過ごすなどどうして出来ようか…
わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも(八二二)
                              主人(大伴旅人)
訳 わが家の庭に梅の花が散る。はるか遠い天より雪が流れて来るようだよ。
  「員外(旅人)思故郷歌」
わが盛り いたくくたちぬ 雲に飛ぶ 薬食むとも またをちめやも(八四七)
訳 わたくしの身の盛りはとうに過ぎてしまった。空飛ぶ仙薬を服用しても若返ることなどありえないだろう。
雲に飛ぶ 薬食むよは 都見ば 賤しきあが身 またをちぬべし(八四八)
訳 空飛ぶ仙薬を服用するより、都を見ればまた若返るに違いないのだ。
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 『万葉集』巻五、梅花の序と三十二首(抄出)。天平二年(七三〇)正月十三日(新暦二月八日)に大宰府の大伴旅人の邸宅で山上憶良らが梅の花を愛でる宴を催したとある。このころ梅(白梅)は大陸からもたらされた非常に珍しい植物であった。また、旅人は長屋王排斥に連座して藤原氏によって大宰府に左遷され、かつ、太宰府で妻・郎女を喪った傷心の時であり、「員外思故郷歌」二首を詠む旅人の歌想は、望郷と亡妻の挽歌でもあった(増尾伸一郎「大伴旅人と王羲之」「《空に飛ぶ薬》」考『万葉歌人と中国思想』吉川弘文館、一九九七年)。この序では、書聖・王羲之で知られる永和九年(三五三)会稽の蘭亭の宴を模した歌会の様子から、憶良や小野老ら、筑紫歌壇人々の雰囲気を伝えている。
 また、中国では楽府題「梅花落」を念頭に漢詩が読まれているように、「この庭の梅を私達は旅人邸で和歌に梅を詠もうではないか」と序を結んでいる(辰巳正明「落梅の篇」『万葉集と中国文学』笠間書院、一九八七年)。旅人たちは、辺境で妻を思う男達の望郷の笛の曲「梅花落」にちなむ漢詩群を念頭に、「いにしへと今と世の中に何の違いがあろう」と記している。実は、一連の梅花歌そのものは、和やかな歌の詠みぶりではありながら、権力者に屈しない文人貴族達が催した蘭亭の宴に依拠するように、藤原氏が独占する都に対する反権力的な想いが、底流にあることを記憶に留めたい。
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